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研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

最近のブレンターノ研究

年始に一度完全にオフにしてしまった頭を仕事仕様に戻すにはさっと読めそうな未消化文献を片付けて達成感を得るのが手っ取り早いだろう、ということで、Pietro Tomasi, “The Unpublished ‘History of Philosophy’ (1866–1867) by Franz Brentano” [2007]を読んだ。1997年にグラーツのドミニコ会修道院で新たに発見されたブレンターノの哲学史に関する草稿(約950ページ!)が持つ意義に関する、短めの論文。問題の草稿の内容紹介と関連して二つのトピックが取り上げられている。一つは、ブレンターノの死後に著作として出版されたいくつかの著作が持つ編集上の問題点(Geschichte der griechischen Philosophieの編集がいかにまずいか)、もう一つは、生前の公刊著作だけでなく未公刊草稿に依拠したブレンターノ研究の進むべき方法性(ブレンターノの哲学的見解の源泉がアリストテレスとトマスにあることを踏まえよう)。

 

ブレンターノを理解するためにはアリストテレスが大事ということは、彼のキャリアを思い出せばまあ当たり前と言えるかもしれないし、最近のブレンターノ研究書はその辺をかなり丁寧に掘り起こしているという印象がある(たとえばMauro Antonelli, Seiendes, Bewusstsein, Intentionalität im Frühwerk von Franz Brentano [2001])。トマスについても、19世紀のネオ・トミズムとブレンターノの関係ついても先行研究(Dieter Münch, “Franz Brentano und die Katholische Aristoteles-Rezeption im 19. Jahrhundert” [2004])がすでにある(三・四年前に読んだはずなんだけど内容を全く思い出せない…)。その限りでの目新しさはこの論文にはない(ばかりか、やっぱりアリストテレスについて詳しく知らないとブレンターノの本当のおもしろさとすごさは分からないだろうなと思ってあらためて暗い気持ちになった)けど、最近のブレンターノ研究が共有している見解が実際にどのような文献上の証拠に動機づけられているのか具体的に分かる点が面白い。死後に出た著作の問題点の指摘についても同様。それにしても、ずっと前からそのうち出ると言われ続けているブレンターノの初期の形而上学講義(1867年)はいつ出るんだろうか。