研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

ハイデガー

高橋里美の胆力(おまけその2)

『高橋里美全集』第7巻の末尾にまとめられた年譜によると、高橋がドイツ留学から日本に帰国したのは1928年2月のことらしい*1。ということは、ハイデガーがマールブルクからフッサールを訪ねてきた1927年10月12日前後に高橋がまだフライブルクにいたとしても…

フッサールの倫理学・価値論へのハイデガーの不満

前回の続き。ハイデガーはフッサールが『改造』のために準備した論文について、かなり辛辣な評価をしていたのだった。1922年11月22日付のレーヴィット宛書簡をもう一度引用しよう。 お年寄り〔=フッサール〕は日本のある雑誌に載せる論文を何編か書いていま…

マルヴィーネ・フッサールとハイデガー

前回の続き。ゲルダ・ヴァルターの回想によれば、ハイデガーはフッサールの妻マルヴィーネのお気に入りだった。実際のところ、ハイデガーとマルヴィーネとの関係は少なくとも悪くなかったようである。このことは、ハイデガーがカール・レーヴィットに宛てた1…