フッサール
今年は前半にどかっと出て、最終版提出済み出版待ちのものがだいぶなくなった。貯金が尽きたようなものだ。来年以降の出版のペースはおそらく落ちるはず。自分の仕事をこの文体で紹介するのが難しかったのでここから調子変えます。 Uemura, G. (2023). Betwe…
1923年から1924年にかけて、フッサールは日本の総合誌『改造』に3篇の論考を寄稿した。当時いろいろあって未刊行に終わった残り2篇とあわせて「『改造』論文」とも呼ばれるこの連続論文は、1989年に『フッサール全集』(Husserliana)第27巻として出版される…
ひとつまえのエントリの補足。富山豊『フッサール 志向性の哲学』には簡潔で要を得た読書案内がついているのだけど、そこで紹介されていないおすすめの文献をふたつ紹介しておこう。 (1)富山本の177–184ページでも論じられているフッサールの「充実」概念…
『フッサール 志向性の哲学』(青土社、2023年)を、著者の富山豊さんからお送りいただいた。待望の単著といっていいだろう。志向性に関するフッサールの見解について私が論じる次の機会——万事が順調に進めば今年の5月後半には最初の機会がやってくる——に本…
フッサールのノエマ概念をめぐる論争は最近はだいぶ下火といっていい感じになっていたんだけど、つい最近この話題に関する新しい論文(Ilpo Hirvonen, ”Reconciling the Noema Debate”)が出た。 以下はアブストラクトの翻訳。 エトムント・フッサールの超越…
『高橋里美全集』第7巻の末尾にまとめられた年譜によると、高橋がドイツ留学から日本に帰国したのは1928年2月のことらしい*1。ということは、ハイデガーがマールブルクからフッサールを訪ねてきた1927年10月12日前後に高橋がまだフライブルクにいたとしても…
この話の続き。フッサールのブレンターノ追悼文には、政治的な見解に関する両者の相違に関する記述がある。それによると、ブレンターノが大ドイツ主義者であったのに対して、フッサールは小ドイツ的なドイツ統一を主導したプロイセンへの好感を持っていたの…
フッサールは公刊著作では自分の政治的なスタンスをはっきりと明かすようなことをほとんどしないのだけど、数少ない(ひょっとしたら唯一のといっていいかもしれない)例外として、ブレンターノの追悼文(1919年刊行)での以下の箇所が挙げられる。 信頼でき…
前回の続き。ハイデガーはフッサールが『改造』のために準備した論文について、かなり辛辣な評価をしていたのだった。1922年11月22日付のレーヴィット宛書簡をもう一度引用しよう。 お年寄り〔=フッサール〕は日本のある雑誌に載せる論文を何編か書いていま…
前回の続き。ゲルダ・ヴァルターの回想によれば、ハイデガーはフッサールの妻マルヴィーネのお気に入りだった。実際のところ、ハイデガーとマルヴィーネとの関係は少なくとも悪くなかったようである。このことは、ハイデガーがカール・レーヴィットに宛てた1…
ヴァルターの自伝Zum anderen Ufer(『対岸へ』)は興味深いのだけど、本人以外のことについては、真偽のよくわからない話も含まれているように思われる。たとえば以下の箇所を読んでみよう。 〔フッサールの妻〕マルヴィーネさんはハイデガーのことがとりわ…
前回の続き。ヴァルターはフライブルクで、フッサールやシュタインだけでなくハイデガーやカール・レーヴィットとも交流を持っていた。ヴァルターは自伝のなかで、いま名前を挙げた人物が一堂に会して議論をした機会も振り返っている。 さらには、「フライブ…
ヴァルターの自伝には、彼女が大学に入学された数少ない女性だったことに起因するトラブルに関する記述もある。以下はそのうちのひとつ。 ある日フッサールは、私たち全員を講演に招待してくれた。その講演は、フッサールが自分の前任者だったリッカート教授…
フッサールによるブレンターノ追悼文「フランツ・ブレンターノの思い出」(1919年)には若き日の和辻哲郎による翻訳(1923年)があるのだけど、実は2019年にひっそりと新しい訳が、しかも無料で手に入るかたちで出版されている。こちら。 なかなか読ませる文…
フッサール現象学の成り立ちにとって一番重要なフッサール以外の人の手による本を一冊挙げろと言われたら、私は一瞬たりとも迷わずブレンターノの『道徳的認識の起源』を選びます。フッサールの現象学のポイントが「起源を問うこと」にあるのだとしたら、そ…
ここ一年半くらい、研究上の必要もあって*1、時間をみつけてはフッサールの書簡集を読んでいる。そうすると、当然のことながらフッサールの個人的なエピソードにもたびたび出くわすことになる。 たとえば、兄のハインリヒ・フッサールに宛てた1910年12月13日…
前々回と前回のおまけ。 フッサール宅での「現象学は哲学のひとつでしかない(大意)」発言のあとに、高橋と務台は飲み屋で「おいどうするよ」みたいな相談をしたらしい。 教授の家を辞して帰路小さな地酒のビール屋でビールを飲みながら、老先生をあんなに…
前回の続き。上の記事で引用した文章で小野浩が「旧台北帝大のM教授」と呼んだ人物は、高橋里美と同時期にフライブルクに留学していた務台理作のことだろう。務台は、高橋がフッサールの面前で見せたもうひとつの大胆な振る舞いの目撃者でもある。「留学時代…
フライブルクに留学していた高橋里美のエピソードとして、高橋の学生だった小野浩が次のような話を書き残している。 先生がフッサール門下としてハイデガーと学問上の〈僚友(Kolleg)〉であつたことは知られてゐる。先生帰朝に当り、ハイデガーの肝煎りで送…
前回の続き。エディット・シュタインの見立てによれば、フッサールの観念論的な主張は論証によって示したり反駁したりできるようなものではありません。実はこれと似たようなことを、フッサールは『デカルト的省察』(1931年)の第41節で述べています。 この…
フッサールが1913年の著作『イデーンI』で表明した観念論的な見解に対して、いわゆるミュンヘン・ゲッティンゲン学派に属する初期の実在論的な現象学者たちが反発した、という話は比較的よく知られているのではないかと思います。この対立に関するエディッ…
上の記事で紹介されているコリン・ウィルソン『精神寄生体』にフッサール(というよりも、フッサール現象学)が登場するらしいので古本を注文しました。読みます。 それで思い出したのですが、スタニスワフ・レムの中編「天の声」にもフッサールの名前がちら…
以前にもフッサール研究会から情報提供があり、知っている人もけっこういるとは思いますが、『フッサール全集』(Husserliana)の第1巻から第28巻までの大部分はネットで無料で手に入れることができます。 ページを開いてもどこからダウンロードできるのかが…
少年時代にナイフを貰ったが、切れ味が気に入らず研ぎすぎて台無しにしてしまった——レヴィナスがフッサールから聞いたというこのエピソードは、広く知られているのではないかと思います*1。この記事のタイトルを見ただけでピンときたという人もけっこういる…
フッサールはある講義で、次のように述べています。 人間の認識を並外れて拡張するためには、分業の必要が拒否しがたくでてくる。もともとはひとつの学問が、数学、物理学、生理学等々に分かれたのだ。そして、こうした仕方での制限によってのみ、われわれの…
「その1」の最後で「その1」は「その2」があることを保証するものではありませんという逃げをいちおう打っておきましたが、実際には、いくらでも補足を書き足せます。今回は、構成に関する節についてもう少し。 「社会的現実の構成」という節では、フッサー…
この記事でも紹介したように、尾高朝雄は1930年にフライブルクでフッサールに学んだのですが、そのときフッサール一家と家族ぐるみの付き合いをしていたようです。 以下は、フッサール家でのクリスマスディナーに招かれたときの様子について、尾高が1935年に…
この記事を読み直していて、ちょっと補足が必要かもしれないと思ったところを見つけました。 「社会倫理学」という節の冒頭には次のようにあります。 最後の節では、フッサールの社会倫理学の構想がごく簡単に紹介されます。ここまで扱ってきたフッサールの…
Encyclopedia of the Philosophy of Law and Social Philosophy(『法哲学・社会哲学百科事典』)という事典 link.springer.com にフッサールについての項目 link.springer.com を書きました。いまのところオンラインでしか読めないのですが、どうやら来年に…
この記事のPDF版をこちらからダウンロードすることができます。 はじめに 読書案内 まずは本人の書いたものをちょっと読んでみる やたら細かい知覚の分析をよりよく理解し、壮大な構想との接点を垣間見る さらに先に進みたい人のためのヒント はじめに この…