研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

ゲルダ・ヴァルターと「内的合一」の現象学(その2)

前回の続き。内的合一に関するヴァルターの議論は、類比的記述という手法も含めてプフェンダーの心情論を継承するものでした。しかし、ヴァルターはプフェンダーの言っていることをそのまま丸ごと繰り返すわけではありません。今回はその一例をあげましょう。

プフェンダーは内的合一を、もっぱらポジティヴな心情の構成要素のひとつとして論じました。ヴァルターはこの点に疑問を呈します。

ポジティヴな心情はどれも、顕在的だろうと意識下のものだろうと習慣的なものだろうと、合一という契機を含むし、必然的にそれを含まなければならない。このことはおそらく簡単に理解できる。だが、同様に、合一はどれもすでに顕在的・意識下的・習慣的なポジティヴな心情なのだろうか*1

顕在的・意識下的・習慣的という区別はそれ自体としてはヴァルターの議論にとって重要なのですが、今回の話とはあまり関係ないので無視しても問題ありません。

さて、ヴァルターは少し後の箇所で上の疑問にNoと答えます。

そのような種類の合一は、たとえば、誰かがある部屋に入って、そこにいわば「馴染む」ときに生じる。〔......〕その部屋との合一にもかかわらず、そのような場合にもそれに似た場合にも、合一の対象への最も広い意味での愛という言い方をすることはできないだろう*2

こうしてヴァルターは内的合一を、ポジティヴな心情をともなわずに生じうる体験とみなします*3

しかしここで注意しなければならないのは、内的合一はそれでも情動(Gefühl)の一種だと考えられている点です。このことを示すために、ヴァルターは「馴染むこと(heimisch fühlen)」を「慣れていること(gewöhnt sein)」から区別します。

〔情動の一種であること〕によって、もっとも広い意味での合一は、対象が主体とそのなかで結びつくようなその他の種類の体験、たとえば慣れによってそのような結びつきが成り立つ体験〔......〕から区別される。これらのような関係すべての場合には、内的に「自分に属している」というあの感じが欠けているのである。この感じが、合一における主体と対象の関係を特徴づけている。〔......〕そのため例えば、調度品が最高に酷い部屋を間借りすることを誰かが強いられ、長い時間をかけてそれに慣れるということが生じる。初めのうちは、その人は自分の環境にずっと気分を害しているが、最終的にはそれに「慣れてしまう」。にもかかわらずその人は、その環境を最初と同じように酷いと思うし、以前と同じようにその環境から自分を内的に切り離し、以前と全く同じように自分をそこから分離させる*4

こうした一連の主張がどのような議論を作り上げているのか、それは(どれくらい)説得的なのかということはさておき、ヴァルターがここで出している「調度品が最高に酷い部屋に慣れてしまう」という例はなかなか優れているんじゃないかと思います。これは単なる想像ですが、ひょっとするとヴァルターは実際にそうした部屋に住むことを余儀なくされたのかもしれません。しかしたとえそうだとしても、自分がうんざりした調度品の酷さについて詳細な記述をせずに「最高に酷い(höchst scheußlich)」という言い方で済ませているのが、この例の説得力を高めているように思われます。最高に酷いとはどういうことかを具体的に示さないことによってこそ、各自が自分の好みに基づいて最高に酷い部屋を想像する余地が生まれているはずです。もしヴァルターがこの例のディティールをもっと詰めていたら、ヴァルターとは好みが違う人にはのれない話になっていたことでしょう。

 

*1:Gerda Walther, "Zur Ontologie der sozialen Gemeinschaften", in E. Husserl (ed.), Jahrbuch für Phänomenologie und phänomenologische Forschung, vol. 6, Max Niemeyer, 1923pp. 1–138 (here, p. 45).

*2:Walther, "Zur Ontologie der sozialen Gemeinschaften", p. 46.

*3:ちなみにプフェンダーものちの著作では同様の見解を表明します。これがヴァルターからの影響によるものかどうかはわかりません。Cf. Alexander Pfänder, Die Seele des Menschen. Versuch einer Verstehenden Psychologie, Max Niemeyer, 1933, p. 36.

*4:Walther, "Zur Ontologie der sozialen Gemeinschaften", p. 47.