研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

講義前夜なのに準備がまだできていないフッサール

ここ一年半くらい、研究上の必要もあって*1、時間をみつけてはフッサールの書簡集を読んでいる。そうすると、当然のことながらフッサールの個人的なエピソードにもたびたび出くわすことになる。

たとえば、兄のハインリヒ・フッサールに宛てた1910年12月13日付の書簡には、このときフッサールが講義の前日の夜だというのに準備ができていなかったという話が記されている。短いので丸ごと引用しよう。

親愛なるハインリヒへ、

 

誕生日に送る手紙がこんな見た目になってしまったよ!! これから数日、君に何かを書くことができなくなりそうだ。土曜日には書けるといいなと思っている。ここ何週間かの騒ぎのせいで最高に難しい講義に遅れが出ていて、何をしたらいいのかわからない。たとえば今日は、夜の9時だというのに明日の朝の講義に何を持っていけばいいのかまだわからないし、そのうえとても難しい問題にひっかかっているんだよ!!

 

というわけで、飛ぶように大急ぎで心からの祝意を目一杯。ヴォルフはどんどん良くなってるよ。

 

君の古くからのエトムントと、マルヴィーネと、子供たちより。

 

マルヴィーネはもちろんまだ看護中で、私たちとは別々になっている。

 

クロティルデとおちびちゃんたちにもどうぞよろしく*2

補足をいくつか。冒頭の一文「誕生日に送る手紙がこんな見た目になってしまったよ!! (So sieht mein Geburtstagsbrief aus!!)」は、編者たちがこの箇所につけた注で指摘しているように、フッサールがハインリヒの誕生日に(封書ではなく)葉書一枚しか送らなかったという事実を踏まえて理解する必要がある*3。たぶんフッサールは、兄へのお祝いの言葉を簡単に済ませてしまうことについて、冗談めかして詫びているのだろう。このときフッサールが準備できないままだった「最高に難しい講義」は、この箇所の編注でも補足されているように、1910/11年冬学期の『現象学の根本問題』だ(下のリンク先の本に翻訳が収録されている)。「ヴォルフ」とは、フッサールの末っ子ヴォルフガング(当時15歳)のこと。このときヴォルフガングは大きな病気にかかっており、その様子を、フッサールはハインリヒとその妻クロティルデに宛てた2日前の書簡でも彼らに伝えている*4。マルヴィーネはヴォルフガングの母、つまりフッサールの妻だ。看病のためにマルヴィーネが「私たち」と別々になっている、とフッサールが複数形で語っているのは、フッサールは上の二人の子供たち(エリザベートとゲアハルト、二人ともこのころにはもう10代後半)とは一緒にいたということだろう。

おそらくこうした状況を念頭に置いて、フッサールは上の引用中で「ここ何週間かの騒ぎ(Aufregungen)」という言い方をしているのだと思われる。これでは講義の準備が遅れることに不思議はない。というわけでこの話は、「なんだフッサールも自転車操業をやってたのか」とわたしたちにある種の安心を与えてくれるようなものなのかというと、おそらくそうではない。タイトルで引っ掛けたような話になってしまった。

*1:フッサールの社会哲学を研究するなら同時代の社会や政治に関する本人の発言を無視するわけにはいかず、それを拾い上げるためには書簡は避けて通れない。

*2:Edmund Husserl, Briefwechsel. Teil 9. Familienbriefe, K. Schumann & E. Schuhmann (eds.), Husserliana Dokumente III/9, Kluwer, 1994, 285. 原文の強調を太字で表した。また、編者による略語や省略の補足も、フッサール自身の筆による箇所と区別せずに訳出した(煩雑さを避けるため)。

*3:日本語の「手紙」には(葉書ではなく)封書という意味があるので、ここでの「Brief」を「手紙」と訳すのはあまりよくないのかもしれない。しかし、これを「書簡」や「郵便(物)」と訳すと兄弟のやりとりっぽくなくなってしまう。というわけで今回は、日本語で読んだときの語調を優先して、「手紙」いう訳語を採用した。葉書と封書の両方を「手紙」と呼ぶこともできなくはないはずなので、誤訳にはなっていないと思う。

*4:Cf. Husserl, Husserliana Dokumente III/9, 283–284.