研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

フッサールの後任問題についてのヴァルターの(一部真偽不明の)回想

ヴァルターの自伝Zum anderen Ufer(『対岸へ』)は興味深いのだけど、本人以外のことについては、真偽のよくわからない話も含まれているように思われる。たとえば以下の箇所を読んでみよう。

〔フッサールの妻〕マルヴィーネさんはハイデガーのことがとりわけお気に入りで、いつも「あれは私たちの末っ子(Benjamin)よ!」といっていた。とはいえハイデガーはすでに私の〔フライブルク滞在〕時代にはすでに事柄に関してフッサールからは離れており、その後ますます強く別の方向に発展していった。フッサールの眼はこのときすでにかなり悪く、年が経つにつれ彼はほとんど目が見えなくなったため、たくさん読むことができないし、自分の学生や追従者が刊行したものについては、他人の報告に頼らざるを得なかった。おそらくそのために、フッサールはハイデガーを自分の後継者として推薦したときに、ハイデガーがすでに我が道を行っていたことに気づかなかったのだろう。だいぶ昔、私がフッサールのところに来る前に、フッサールはプフェンダーや何人かの共通の友人——そのなかには伝説的な人物であるダウベルトもいた——と一緒にチロルのゼーフェルトに滞在し、こんなに深く刺激的な哲学の議論ができる相手はプフェンダーの他にはいないと明かした。このプフェンダーこそが、フッサールの後継者になるのに適任であるべきだ。しかし、問題の会議で後任について問われたとき、フッサールは、出席者の何人かにとっては不思議なべきことに、そもそもプフェンダーの名前を挙げなかった。ある人がそれとは違うことをしたとき〔つまり、プフェンダーの名を上げたとき〕、フッサールはこの提案を聞き流した。私の推測では、これは少なくとも部分的にマルヴィーネさんの影響によるものと考えられる。プフェンダーは彼女にあまり好意的ではなく、ひょっとしたら互いにそう思っていたのではないだろうか*1

フッサールがプフェンダーを後任として推薦しなかった(そしてハイデガーがフッサールの後任となった)という話はもちろん事実だが、その舞台裏で起こっていたとされるやりとりについて、ヴァルターはどうやって情報を手に入れたのだろうか。おそらくヴァルターは誰かから聞いた話を記憶に基づいて書いているのだろう。しかし、ヴァルターが聞いたのは単なる噂かもしれない。というわけで、後任者に関するフッサールの言動の件については、同様のことを示唆する(信頼できる)ソースが他に見つからないかぎり、「ヴァルターはそう言っている」という話として受け止める程度にとどめておいた方がいいかもしれない。また、後任人事に関するフッサールの意向がマルヴィーネに影響されているのではないかいう話は、ヴァルター本人も書いているように、推測でしかない。

もちろんヴァルターは上の引用で、現在私たちが手にしている証拠からして間違いないといえることも証言している。フッサールがゼーフェルトでプフェンダーやダウベルトたちと議論をして過ごしたという箇所がそれだ*2。また、マルヴィーネ・フッサールがハイデガーのことを気に入っていたという点についても、同様のことをいくらか示唆する別の証拠が残されている。この話は次回に。

*1:Gerda Walther, Zum anderen Ufer. Vom Marxismus und Atheismus zum Christentum, Der Leuchter Otto Reichl Verlag, 1960, pp. 210–211.

*2:Cf. Karl Schuhmann, Husserl-Chronik, Martinus Nijhoff, 1977, p. 91.