研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

こけおどしとしての「トランスツエンデンタアル」

1912年から1916年まで欧州に留学した美術史家の澤木四方吉は、ミュンヘンでカンディンスキーと交流を持った。そのことを綴った澤木の随筆「カンディンスキィという人」(初出1917年)には、次のような一節がある。

ある日彼〔=カンディンスキー〕から、一ロシアの青年が「カンディンスキィについて」という題で、某館で講演をやるから聴きに来てくれという案内があった。作画を幻灯に映して、講演者は、草稿を朗読するのであった。内容は、現代の新芸術運動者の慣いとして、なんでも「超越的〔「トランスツエンデンタアル」とルビ〕」といったような、コケ威しの語彙沢山のものと思えば間違いはない。聴衆には辛抱しかねる、という風に中座するものが多く、終わることには残雪のように斑になってしまった*1

なんとも既視感のある一幕で、最初に読んだときには笑ってしまった。ちなみに「トランスツエンデンタアル(transzendental)」はいまでは「超越論的」と訳すのが標準的。

なお、澤木はカンディンスキーにあまりいい印象を持っておらず、「カンディンスキィという人」でそのことを述べた箇所は問題含みでもある。このあたりについては、前田良三『ナチス絵画の謎——逆襲するアカデミズムと「大ドイツ美術展」』(みずす書房、2021年)を参照。澤木の随筆についても、私はこの本を読んで知ったのだった。「凡庸なるオポチュニスト」アドルフ・ツィーグラーを論じた前田本の第2章もたいへん面白かった。

*1:澤木四方吉『美術の都』、岩波文庫、1998年、279頁。