研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

2023年に出版された仕事

今年は前半にどかっと出て、最終版提出済み出版待ちのものがだいぶなくなった。貯金が尽きたようなものだ。来年以降の出版のペースはおそらく落ちるはず。自分の仕事をこの文体で紹介するのが難しかったのでここから調子変えます。 Uemura, G. (2023). Betwe…

客観的であることと主観的であることを対比したくなる気持ちに水を差すウィギンズの所見

折りに触れて読み返したいし、いろんな人に読んで欲しいのでここに引用しておこう。 〔…〕客観性と非客観性との区別(こちらの区別は、公共的に認められ合理的に批評可能な議論の水準が存在することや、真理を目指す推論が存在することと関係があるように見…

哲学史研究と哲学をすることの関係についてのグライスの「ファンタジー」

先日勤務先で一般向けの講座を行う機会を得て、「哲学と哲学史——両者は切り離せないのか」という内容で話をした。下記の記事からはじまる当ブログの一連のSauer論文記事を本題としてその前後に前置きと展望を挟むという感じの構成で、どちらかといえば利他的…

戦前にはほぼ無視されたフッサールの「『改造』論文」

1923年から1924年にかけて、フッサールは日本の総合誌『改造』に3篇の論考を寄稿した。当時いろいろあって未刊行に終わった残り2篇とあわせて「『改造』論文」とも呼ばれるこの連続論文は、1989年に『フッサール全集』(Husserliana)第27巻として出版される…

富山豊『フッサール 志向性の哲学』のあとに読むといいかもしれない文献

ひとつまえのエントリの補足。富山豊『フッサール 志向性の哲学』には簡潔で要を得た読書案内がついているのだけど、そこで紹介されていないおすすめの文献をふたつ紹介しておこう。 (1)富山本の177–184ページでも論じられているフッサールの「充実」概念…

フッサールにたどりつくために——富山豊『フッサール 志向性の哲学』(青土社、2023年)

『フッサール 志向性の哲学』(青土社、2023年)を、著者の富山豊さんからお送りいただいた。待望の単著といっていいだろう。志向性に関するフッサールの見解について私が論じる次の機会——万事が順調に進めば今年の5月後半には最初の機会がやってくる——に本…

アメリカ哲学における現象学とその不在の歴史

年末年始の読書は10月に出たJonathan Strassfeld, Inventing Philosophy’s Other. Phenomenology in America (University of Chicago Press, 2022)に決めた。 アメリカの哲学メインストリームにおける現象学とその不在という主題をめぐって、ふたつのパート…

ノエマ論争についての論文が久しぶりに出た。

フッサールのノエマ概念をめぐる論争は最近はだいぶ下火といっていい感じになっていたんだけど、つい最近この話題に関する新しい論文(Ilpo Hirvonen, ”Reconciling the Noema Debate”)が出た。 以下はアブストラクトの翻訳。 エトムント・フッサールの超越…

現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その4):論証のかたちを可能なかぎり単純にし、反論の道を探る

そろそろ批判的なことを書きたいのだけど、反応を見ているとそもそもの話が理解されていないので補足を続ける。なるべく単純でわかりやすくすることを心がけた。また、この記事から読み始めることもできるようにしたつもりだ。短くしようとしたのだが、ある…

現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その3):どのような研究実践が推奨されているのか

今日も続きの話を、しかし短めに。まずはおさらいから。 Sauerの言いたいことは、要するに次のように再定式化できるものだった。 もしあなたが特定の哲学の問題について、真だと考えることを支持する理由のある考えを手に入れたいならば、歴史上の哲学者の著…

現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その2):何が誰にとって不要だとされているのか

前回の記事の続き。大雑把には「現代哲学の研究に哲学史は必要ない」という主張を擁護した論文 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 について、いくつかの補足をしておく。ちなみに哲学史と哲学の関…

現代哲学の研究に哲学史は必要なのか

大雑把に言えば、タイトルの問いに「必要ない」と答える論文が出た。 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 読んでみたら面白かったので、自分用のメモも兼ねて概略をまとめておいた。感想なども書き…

高橋里美の胆力(おまけその2)

『高橋里美全集』第7巻の末尾にまとめられた年譜によると、高橋がドイツ留学から日本に帰国したのは1928年2月のことらしい*1。ということは、ハイデガーがマールブルクからフッサールを訪ねてきた1927年10月12日前後に高橋がまだフライブルクにいたとしても…

フッサールの「ブレンターノの思い出」はいつ書かれたのか

この話の続き。フッサールのブレンターノ追悼文には、政治的な見解に関する両者の相違に関する記述がある。それによると、ブレンターノが大ドイツ主義者であったのに対して、フッサールは小ドイツ的なドイツ統一を主導したプロイセンへの好感を持っていたの…

愛国者としてのフッサール

フッサールは公刊著作では自分の政治的なスタンスをはっきりと明かすようなことをほとんどしないのだけど、数少ない(ひょっとしたら唯一のといっていいかもしれない)例外として、ブレンターノの追悼文(1919年刊行)での以下の箇所が挙げられる。 信頼でき…

フッサールの倫理学・価値論へのハイデガーの不満

前回の続き。ハイデガーはフッサールが『改造』のために準備した論文について、かなり辛辣な評価をしていたのだった。1922年11月22日付のレーヴィット宛書簡をもう一度引用しよう。 お年寄り〔=フッサール〕は日本のある雑誌に載せる論文を何編か書いていま…

マルヴィーネ・フッサールとハイデガー

前回の続き。ゲルダ・ヴァルターの回想によれば、ハイデガーはフッサールの妻マルヴィーネのお気に入りだった。実際のところ、ハイデガーとマルヴィーネとの関係は少なくとも悪くなかったようである。このことは、ハイデガーがカール・レーヴィットに宛てた1…

フッサールの後任問題についてのヴァルターの(一部真偽不明の)回想

ヴァルターの自伝Zum anderen Ufer(『対岸へ』)は興味深いのだけど、本人以外のことについては、真偽のよくわからない話も含まれているように思われる。たとえば以下の箇所を読んでみよう。 〔フッサールの妻〕マルヴィーネさんはハイデガーのことがとりわ…

尾高朝雄の絶筆

突然の死によって未完成のままになった尾高朝雄の原稿「現象学派の法哲学」の冒頭には、以下のような目次が付されていた。 哲学としての現象学 方法論としての現象学 現象学の法哲学への応用 現象学的経験主義 実定法秩序の意味構造*1 実際に書かれたのは1だ…

純粋自我に関するヴァルターの講演

前回の続き。ヴァルターはフライブルクで、フッサールやシュタインだけでなくハイデガーやカール・レーヴィットとも交流を持っていた。ヴァルターは自伝のなかで、いま名前を挙げた人物が一堂に会して議論をした機会も振り返っている。 さらには、「フライブ…

ヴァルターとフッサール『イデーンII』

ヴァルターの自伝には、彼女が大学に入学された数少ない女性だったことに起因するトラブルに関する記述もある。以下はそのうちのひとつ。 ある日フッサールは、私たち全員を講演に招待してくれた。その講演は、フッサールが自分の前任者だったリッカート教授…

ブノワの新刊『現象学から実在論へ:意味の限界』

ジョスラン・ブノワの新著がドイツ語で出版されたようだ。 せっかくなので上記リンク先の紹介文を訳しておこう。 実在論的な現象学というものなどない。こうした考えを建築線として、ジョスラン・ブノワは本書で彼のこれまでの仕事をまとめている。それらの…

フッサールのブレンターノ追悼文

フッサールによるブレンターノ追悼文「フランツ・ブレンターノの思い出」(1919年)には若き日の和辻哲郎による翻訳(1923年)があるのだけど、実は2019年にひっそりと新しい訳が、しかも無料で手に入るかたちで出版されている。こちら。 なかなか読ませる文…

ブレンターノ「道徳的認識の源泉について」の翻訳について

フッサール現象学の成り立ちにとって一番重要なフッサール以外の人の手による本を一冊挙げろと言われたら、私は一瞬たりとも迷わずブレンターノの『道徳的認識の起源』を選びます。フッサールの現象学のポイントが「起源を問うこと」にあるのだとしたら、そ…

ゲルダ・ヴァルター「共同体の存在論について」(1923年)目次

ヴァルターの共同体論の目次を訳出したので、ここにも置いときます*1。 A. 諸論 B. 社会的共同体の第一段階における、社会的共同体の本質の存在論的区別 B-1 社会的共同体概念の意味と、その本質的な徴表の予備的な規定 B-2 共同体と利益社会の区別 B-3 共同…

講義前夜なのに準備がまだできていないフッサール

ここ一年半くらい、研究上の必要もあって*1、時間をみつけてはフッサールの書簡集を読んでいる。そうすると、当然のことながらフッサールの個人的なエピソードにもたびたび出くわすことになる。 たとえば、兄のハインリヒ・フッサールに宛てた1910年12月13日…

高橋里美の胆力(おまけ)

前々回と前回のおまけ。 フッサール宅での「現象学は哲学のひとつでしかない(大意)」発言のあとに、高橋と務台は飲み屋で「おいどうするよ」みたいな相談をしたらしい。 教授の家を辞して帰路小さな地酒のビール屋でビールを飲みながら、老先生をあんなに…

高橋里美の胆力(その2)

前回の続き。上の記事で引用した文章で小野浩が「旧台北帝大のM教授」と呼んだ人物は、高橋里美と同時期にフライブルクに留学していた務台理作のことだろう。務台は、高橋がフッサールの面前で見せたもうひとつの大胆な振る舞いの目撃者でもある。「留学時代…

高橋里美の胆力

フライブルクに留学していた高橋里美のエピソードとして、高橋の学生だった小野浩が次のような話を書き残している。 先生がフッサール門下としてハイデガーと学問上の〈僚友(Kolleg)〉であつたことは知られてゐる。先生帰朝に当り、ハイデガーの肝煎りで送…

シュタインと似た考えを表明するフッサール

前回の続き。エディット・シュタインの見立てによれば、フッサールの観念論的な主張は論証によって示したり反駁したりできるようなものではありません。実はこれと似たようなことを、フッサールは『デカルト的省察』(1931年)の第41節で述べています。 この…