研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その3):どのような研究実践が推奨されているのか

今日も続きの話を、しかし短めに。まずはおさらいから。

Sauerの言いたいことは、要するに次のように再定式化できるものだった。

  • もしあなたが特定の哲学の問題について、真だと考えることを支持する理由のある考えを手に入れたいならば、歴史上の哲学者の著作を読むことは不要である。

ここでの「特定の問題」とは、哲学の歴史のなかで一貫して問われ続けているような問題のことだ。詳しいことについては「その2」を読んでほしい。

おさらい終わり。

さて、今回の話に入るためのとっかかりとして、上の主張に対する「筋違いの賛意」をひとつとりあげよう。Sauerに同意して、「そのとおりだ。哲学に哲学史はいらない。自分の頭で考えなければ哲学じゃない」と考えることは、残念ながら要点を外している。少なくとも、「自分の頭で考えること」を「特に参考文献を使わずに、あるいは入門書のたぐいを軽く読んだうえで哲学的な問題について取り組むこと」として考えているならば。

Sauerの主張は、「歴史上の哲学者の著作を読む代わりに同時代の著者のものをもっと読め」というものだ。別の言い方をすれば「自分が扱う問題に関する科学的・経験的知見や、そうした知見を踏まえた最新の議論をしっかりと踏まえろ、そのための時間を古典的な著作の読解に浪費するな」、というのがSauerの提案だ。そのため「自分の頭で考える」のは、まともなインプットをしてからだ、ということになるだろう。

では、ここで想定されている「インプット」とはなんだろうか。この点については、専門的な哲学研究の業界の外にいる人にはあまりはっきりとしたことはわからないかもしれない。というわけで、こうした研究実践の雰囲気を知るための手がかりとなりそうなものを紹介しておこう。応用哲学会の雑誌Contemporary and Applied Philosophyに収められたサーヴェイ論文だ。以下から無料でダウンロードできる(雑誌名は英語だがサーヴェイ論文はどれも日本語で書かれている)。

勉強になる文献ばかりのはずなので*1もちろん全文読んでもらってもいいのだが、今回の目的のためには末尾の文献表を眺めるだけでもいい。ほとんどの文献が英語で、最近の雑誌論文が多く、20世紀前半以前のものはあまり掲載されていないはずだ。こうした文献を大量に読んで、その気になれば今回紹介したサーヴェイ論文を書けるようにするために時間を使うべきだ(もしあなたが特定の哲学的問題について真だと考えることを支持する理由のある考えを手に入れたいならば)というのが、Sauerの提案のもう少し具体的な内実だ*2

*1:私はこれこれを読んだことがあるが、どちらもたいへん勉強になった。ここで告白すると、こんなにサーヴェイ論文が増えていたとはしらなかったので、残りのものもなるべく読みたい。

*2:そして「しかるのちに自分自身の貢献を出版することを目指せ」という話になるだろう。ここでの「出版」がまずもって何を意味するのかといえば、それはもちろん、査読付き国際誌(のうちでも格の高いもの)に論文を出すことだ。