研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

2023年に出版された仕事

今年は前半にどかっと出て、最終版提出済み出版待ちのものがだいぶなくなった。貯金が尽きたようなものだ。来年以降の出版のペースはおそらく落ちるはず。自分の仕事をこの文体で紹介するのが難しかったのでここから調子変えます。

 

Uemura, G. (2023). Between Love and Benevolence. Voigtländer, Pfänder, and Walther on the Phenomenology of Sentiments. In: Vendrell Ferran, Í. (eds) Else Voigtländer: Self, Emotion, and Sociality. Women in the History of Philosophy and Sciences, vol 17. Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-031-18761-2_4

初期現象学(ミュンヘン系)に関する論文。エルゼ・フォークトレンダーの心情論について、それがアレクサンダー・プフェンダーの心情論に何をどれくらい負っていたのか、その新しさはどこにあったのかを明らかにすることを目指しました。フォークトレンダーは師の一人だったプフェンダーの基本的な発想を正確に理解して踏襲したうえで、「好意(Wohlwollen/benevolence)」と呼ばれる心情については、プフェンダーの見解に反対するような議論を展開している——というのがメインの主張です。具体的な作業としては、プフェンダーに献呈された1933年の論文「心情の心理学についての所見」の前半部分を取り上げ、フォークトレンダーがそこでプフェンダーの『心情の心理学』(1913/1916年)のどの箇所を参照しているのかをなるべく正確に突き止めつつ、この一致を背景にしてはじめて浮き上がる両者の見解の相違を取り出すといった感じのことをしています。また、好意に関するフォークトレンダーの議論が同じくプフェンダーの学生だったゲルダ・ヴァルターの立場への批判にもなっている——ただしフォークトレンダー自身がこの批判を意図していたかはわからない——ということも論じました。私のこれまでのキャリアでもっともマニアックなテーマですが、うまく書けたと思っている部分がいくつかあり、たいへん気に入っています(ただしタイプセッティングのミスでブロック引用がすべて段落として処理されていて、そこは気に入っていません)。

 

Uemura, Genki, 'Phenomenology in Japan: A Brief History with a Focus on Its Reception in Applied Areas', in François-Xavier de Vaujany, Jeremy Aroles, and Mar Pérezts (eds), The Oxford Handbook of Phenomenologies and Organization Studies, Oxford University Press, 2023. https://doi.org/10.1093/oxfordhb/9780192865755.013.30

日本における現象学受容を、狭い意味での哲学の外にある「応用的な」分野での受容にとりわけ着目しながら振り返る論文です。1910年代から2000年くらいまで扱っていますが、戦後の話はほとんどおまけみたいなもので、重点は戦前に置かれています。この手の話題を扱った先行研究はかなりの量読んだはずですが、そのどれとも違う内容になっていると思います。1920年代の日本の教育学や社会学における現象学への注目の高まりについてある程度まとまったことを(英語で)書いた論文は貴重なはずです。準備の過程で仕込んだネタがたくさん余っているので今後の研究にも活かされることでしょう。大変だったけどやってよかった。

 

Uemura G. (2023). Community and the Absence of Hostility: Interpretation and Defense of Gerda Walther’s Account. Phainomenon, Vol.35 (Issue 1), pp. 25-46. https://doi.org/10.2478/phainomenon-2023-0003

初期現象学(ミュンヘン系)に関する論文がもうひとつ。こちらはゲルダ・ヴァルターに関するもの。ヴァルターの共同体論を解釈して擁護するという趣旨の論文で、具体的には、「共同体は成員のあいだの敵対が取り除かれたところに成立する(大意)」というヴァルターの主張の内実を理解可能にすることを目指しています。そのための手がかりとして、アーロン・グールヴィッチがヴァルターに寄せた批判(をさらに展開させたもの)を取り上げ、それに応答することを試みました。結論を簡単にいうと、「ヴァルターだって共同体の内部で不和や敵対が生じうることくらい当然認めているよ。このことと問題の主張がどう両立するのかは、真正/非真正(echt/unecht)な経験に関するヴァルターの議論を参照すれば分かるよ」という感じになります。これもいまのところ結構気に入っている。オープンアクセス。

 

植村玄輝,「像はどのようにあらわれるのか——フッサールの像意識論を解釈して擁護する」,荒畑靖宏・吉川孝編『あらわれを哲学する』,晃洋書房,2023年,85–100頁。

こちらも解釈して擁護する論文。像意識(いまでいう画像知覚)に関するフッサールの議論に登場する「像客体」とは何かを明らかにしたうえで、それをいわば第3のものとして、物的な像ないし像物体(画像知覚において知覚される物体、たとえばキャンヴァス)と像主題(画像において描かれるもの、たとえば肖像画を注文した実在の人物)に加えて認めることはそんなに奇妙な発想ではないということを論じました。私がフッサールについて書くと人があまり現象学っぽいと思わないものができあがる傾向があるのですが、これはがっつり現象学の話をしていると思います。しかしフッサール研究の成果というよりも、自分の基準では現代現象学に分類される仕事だという気もします。少なくとも、この話の続きをやるときにはもはやフッサール解釈という手続きはとらないはず。

 

植村玄輝,「コンラート=マルティウスの現象学的実在論」,『プロセス思想』第22号(2022),2023年,49–63頁。https://doi.org/10.32242/processthought.22.0_49

初期現象学(ミュンヘン系)に関する論文がさらにひとつ。一昨年に行われた日本ホワイトヘッド協会シンポジウムでの提題(および、過去5年くらいにさまざまなところでやってきた発表)にもとづくものです。ヘートヴィヒ・コンラート=マルティウスの1916年の論考「レアルな外界の現出論と存在論」から実在論を擁護する現象学的な論証を再構成するものなんですが、とにかく難解な文献なので苦労しました。コンラート=マルティウスの議論の要点は体験の身体性に着目するというところにあり、それだけだとまあよくある話といえなくもないんですが、そこからさらに一歩踏み込んで触覚的な注意を議論に絡めてくるあたりはかなり面白いしオリジナルだと思います。オープンアクセス。

 

植村玄輝,「フッサールの価値論——ブレンターノの継承と批判という観点から」,『20世紀初頭価値哲学の反自然主義——現代価値論の再考のために』,2023年,19–33頁。

ゲッティンゲン時代のフッサールの価値論をブレンターノとの比較という観点から整理した論文です。フッサール研究者なら常識的に知っていてもいいような話題が中心なのでフッサール研究的には特に新しくないです。しかし、狭い業界外にはあまり知られていない話をコンパクトにまとめたものとしては悪くないと思います。こちらの科研費プロジェクトの報告書に寄せたものなので入手がやや難しいのが残念です。しかしそのうちネットで無料で公開されるんじゃないかと思います。されなかったら私の方でなんとかします。