研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

初期現象学

2023年に出版された仕事

今年は前半にどかっと出て、最終版提出済み出版待ちのものがだいぶなくなった。貯金が尽きたようなものだ。来年以降の出版のペースはおそらく落ちるはず。自分の仕事をこの文体で紹介するのが難しかったのでここから調子変えます。 Uemura, G. (2023). Betwe…

純粋自我に関するヴァルターの講演

前回の続き。ヴァルターはフライブルクで、フッサールやシュタインだけでなくハイデガーやカール・レーヴィットとも交流を持っていた。ヴァルターは自伝のなかで、いま名前を挙げた人物が一堂に会して議論をした機会も振り返っている。 さらには、「フライブ…

ヴァルターとフッサール『イデーンII』

ヴァルターの自伝には、彼女が大学に入学された数少ない女性だったことに起因するトラブルに関する記述もある。以下はそのうちのひとつ。 ある日フッサールは、私たち全員を講演に招待してくれた。その講演は、フッサールが自分の前任者だったリッカート教授…

ブレンターノ「道徳的認識の源泉について」の翻訳について

フッサール現象学の成り立ちにとって一番重要なフッサール以外の人の手による本を一冊挙げろと言われたら、私は一瞬たりとも迷わずブレンターノの『道徳的認識の起源』を選びます。フッサールの現象学のポイントが「起源を問うこと」にあるのだとしたら、そ…

ゲルダ・ヴァルター「共同体の存在論について」(1923年)目次

ヴァルターの共同体論の目次を訳出したので、ここにも置いときます*1。 A. 諸論 B. 社会的共同体の第一段階における、社会的共同体の本質の存在論的区別 B-1 社会的共同体概念の意味と、その本質的な徴表の予備的な規定 B-2 共同体と利益社会の区別 B-3 共同…

シュタインと似た考えを表明するフッサール

前回の続き。エディット・シュタインの見立てによれば、フッサールの観念論的な主張は論証によって示したり反駁したりできるようなものではありません。実はこれと似たようなことを、フッサールは『デカルト的省察』(1931年)の第41節で述べています。 この…

エディット・シュタインが語るフッサールの観念論

フッサールが1913年の著作『イデーンI』で表明した観念論的な見解に対して、いわゆるミュンヘン・ゲッティンゲン学派に属する初期の実在論的な現象学者たちが反発した、という話は比較的よく知られているのではないかと思います。この対立に関するエディッ…

ゲルダ・ヴァルターと「内的合一」の現象学(その2)

前回の続き。内的合一に関するヴァルターの議論は、類比的記述という手法も含めてプフェンダーの心情論を継承するものでした。しかし、ヴァルターはプフェンダーの言っていることをそのまま丸ごと繰り返すわけではありません。今回はその一例をあげましょう…

ゲルダ・ヴァルターと「内的合一」の現象学

引き続きヴァルターの話。ひとつ前のエントリーで見たように、ヴァルターは共同体の紐帯となる情動を「内的合一(innere Einigung)」と呼んだのでした。この文脈でヴァルターは、ミュンヘンにおける師であったアレクサンダー・プフェンダーの議論を継承して…

ゲルダ・ヴァルターの共同体論

前回の続きといえなくもない話。せっかくなので、ヴァルターが自分の論考のなかでウェーバーに触れている箇所も紹介しておきましょう。以下は、1923年にフッサールの『現象学年報』に掲載された「共同体の存在論について」の一節で、初期現象学の研究者の(…