引き続きヴァルターの話。ひとつ前のエントリーで見たように、ヴァルターは共同体の紐帯となる情動を「内的合一(innere Einigung)」と呼んだのでした。この文脈でヴァルターは、ミュンヘンにおける師であったアレクサンダー・プフェンダーの議論を継承しています。
というわけで、まずはプフェンダーの関連する議論を見ておきましょう。以下は、プフェンダーが「心情の心理学」(1913/1916年)という論考のなかで、愛のようなポジティヴな心情(Gesinnung)には内的合一という構成要素が含まれるという趣旨の主張をしている箇所です。
誰かが別の人間に愛において顕在的に向かう場合、愛の構成要素のなかには、遠心的な情動の流れに加えて、二つの重要な契機が、私と対象のあいだに現前することがよくある。第一の契機は、私と愛された人との内的な合一である。このとき自我は、 さしあたり、愛された人に触れるまで延びていく。しかしこのことはまだ、愛の流れの主体である自我がその愛する人に向って流れていくあいだは、単に接触を打ち立てることとして現れる。そのつぎにはじめて、自我の愛された人との本来的な内的合一が続くのである。この合一はいわば、あの接触線と遠心的な情動の流れの下に生じるのである。内的合一のプロセスは隔たりの線を貫く。この隔たりの線は自我と愛された人を多かれ少なかれ分けながら成り立ったままであり、それによって、合一を多かれ少なかれ完全なものにする。〔......〕自我が愛された人に、ある特定の〔......〕隔たりまで近づいたあとに、その自我は自分自身と他者とのあいだのある特定の合一を体験する。この体験を合一感(Einigungsgefühl)と呼ぶこともできる*1。
平たくいってしまえば、内的合一とは、ポジティヴな心情が持つ、その対象との心理的距離を縮めてくれる働きのことです。このことを示すために、プフェンダーは「遠心的」・「流れ」・「接触線」といった比喩をたくさんつかった現象学的分析を繰り広げます。こうした分析がどうして必要とされるのでしょうか。
この謎を解く鍵が、プフェンダーの同僚だったモーリッツ・ガイガーの論文「アレクサンダー・プフェンダーの方法上の立場」(1933年)のなかで示されています。
与えられたものを実際に分析するためには、多くの場合、例は十分ではない。というのも、例は複雑な事実を目の前に出すだけであり、個別に分析によって際立たせられる諸契機をよりわけてくれるわけではないからだ。/ここでプフェンダーはある方法を最大限に使うのだが、その方法は他のもの——現象学において その他に用いられるものからも——かけ離れている。プフェンダーは、分析される諸契機へと導くために、空間や物質との類比を用いるのである。そのためプフェンダーは、たとえば、「顕在的な心情の水平に流れる方向」という言い方をする*2。
要するに、例を出しただけでは現象学的な分析をしたことにはならないので、その例の構造的な特徴を記述しなければいけない、そのためには比喩的な言葉が欠かせない、というわけです。
さて、ヴァルターはプフェンダーの心情の現象学を、ガイガーがのちに「類比的記述」*3とも呼ぶことになる上述の方法も含めて受け継いでいます。このことは、心情に含まれる内的合一をヴァルターが論じる以下の一節からもはっきりと読み取れるはずです。
程度の差はあれ重みを伴った暖かい肯定する心の波が、突然、程度の差はあれ急かつ熱烈に、あるいは静かで穏やかに、主体の全体を、あるいはその一部だけを、あるいはその「薄い」領域の全体を満たす。その波は心的生の全体とそのその都度の体験複合に、温かな光をともなって注ぐように思われ、意識背景から目覚めた前景意識の領域へと、その目覚めつつ見てとりすべてを体験する自我契機をともなって、入り込む。程度の差はあれ、その波は自我契機のまわりを滔々と流れ、自我契機を貫いて、その対象へと流れていく。それはあたかも、この波が主体の全体を、この波に貫かれたその主体の見てとる自我ともども、その合一対象にまで運んでいくかのようである*4。
重要なのは、こうした現象学的記述が論証における差し手としてどのような役割を果たしているのか、果たしうるのかを突き止めることです。この辺については、そのうち論文というかたちで発信したいところです。
プフェンダーの心情の現象学や類比的記述の方法については、以下の論集に収められたプフェンダーについての章ふたつ、八重樫徹さんと共著で書いたこれ
と、一人で書いたこれ
で、いくらか論じています。ちなみにPhenomenology of Agencyの方は、現在(2022年8月末)Amazonではほぼ9割引(約30000円値引き)とたいへん安くなっています。
*1:Alexander Pfänder, "Zur Psychologie der Gesinnungen", in E. Husserl (ed.), Jahrbuch für Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie, vol. 1, Max Niemeyer, 1913, pp. 325–404 (here, pp. 366–367).
*2:Moritz Geiger, "Alexander Pfänders methodische Stellung", in E. Heller & F. Löw (eds.), Neue Münchener philosophische Abhandlungen, Leipzig: J. A. Barth, 1933, pp. 1–16 (here, p. 10).
*3:Geiger, "Alexander Pfänders methodische Stellung", p. 10
*4:Gerda Walther, "Zur Ontologie der sozialen Gemeinschaften", in E. Husserl (ed.), Jahrbuch für Phänomenologie und phänomenologische Forschung, vol. 6, Max Niemeyer, 1923, pp. 1–138 (here, pp. 33–34).