研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

純粋自我に関するヴァルターの講演

 

前回の続き。ヴァルターはフライブルクで、フッサールやシュタインだけでなくハイデガーやカール・レーヴィットとも交流を持っていた。ヴァルターは自伝のなかで、いま名前を挙げた人物が一堂に会して議論をした機会も振り返っている。

さらには、「フライブルク現象学協会」——もちろん女性がそれに参加することが許されていた——の設立が、講師と学生たちによって決定された。誰かがオープニングレクチャーをしなければならなかった。でも誰が? 誰もがそれをやらない口実をそれぞれもっていた。レーヴィットにしつこく頼まれて、最終的には私が激しく抵抗した挙句に講演をすることになった。

でも、何について話すべきだろうか。私はあれこれのひとたちと、フッサールの「純粋自我」に関する一連の問題について何度も話してきた。それはとてもぴったりしたテーマだとレーヴィットは考えた。ハイデガー——私の記憶が正しければ、教授たちの会合ではないということははっきりしていたの、彼がある種の座長のような役割を引き受けた——もまったく賛成していた。とはいえ、それはまったくもって難しい問題だった。

要点は、フッサールによれば、認識する者としての経験的な意味での人もまた現象学的な括弧入れに服するというところにあった。そのため存在するのは、すべてがそこで「構成」される意識の流れと、それにともなった純粋自我であり、そうした自我は絶対的に空虚かつ無内容で、単なる観てとる目なのである。プフェンダーのいう根本本質や「自己」の部分、さまざまな対象領域の認識がそもそもそれによって可能になるような「心の器官」のことを考えて、私が——たしかプフェンダーの名前は出さずに——立てた問いは、もし「純粋自我」が「純粋に空虚で無内容」であるならば、そもそもどうやってそれが何かを「志向」し認識することができるのかというものだった。議論に参加したのは、ほとんどフッサール自身とハイデガーだけ、それからたぶんエディット・シュタインだった。とりわけハイデガーは、こうした問いの立て方をとても重要で価値あるものだ評価した。他の人たちはあとから苦情をいってきた。講義が難しすぎて学生たちはほとんどついてこれなかったそうだ。まあ私も自分を急き立てて講義をしたわけではなかったのだけど! 講演の原稿はあとで人に貸しているうちになくなってしまった*1

ヴァルターのフッサール批判はいまから見れば定番の論点だといえるが、ヴァルターがそれを1919年の段階ではっきり打ち出していたということは強調されるべきだろう。

ヴァルターが依拠していたプフェンダーの考えがフッサールの自我論に与えた影響については、マールバッハの『フッサール現象学における自我の問題』第7章が詳しく論じている*2

*1:Gerda Walther, Zum anderen Ufer. Vom Marxismus und Atheismus zum Christentum, Remagen: Otto Reichl Verlag, pp. 213–214.

*2:Eduard Marbach, Das Problem des Ich in der Phänomenologie Husserls, Martinus Nijhoff, 1974.