研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

ゲルダ・ヴァルター『共同体の存在論について』の英訳

ゲルダ・ヴァルターの博士論文でもある共同体論が、先日ようやく英訳Toward an Ontology of Social Communitiesが出版された。同書は英訳だけでなくドイツ語原文も採録しており、しかもPDF版は全編無料でダウンロードできる(少なくとも今日現在、私の環境では。別の環境ではダウンロードできなかったという話も聞いた)。

本書は初期現象学のマスターピースのひとつだし、社会存在論の先駆けみたいな議論も含んでいるので、英訳の出版によって今後さらにヴァルター研究が進むことでしょう。私もあと1本か2本分くらいのネタを持っているので、早めに書いちゃったほうがいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

秋葉剛史『形而上学とは何か』を題材にして、パラグラフの組み立てについて考える(その2)

 

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ひとつ前の記事のフォローアップとして、秋葉剛史『形而上学とは何か』(ちくま新書、2025年)を使って私がどのような授業をしているのかを簡単に紹介しておこう。この授業では、同書を一章につき原則として2回というペースで読み進めている。ただし、ひとつの章を前半と後半に分けて2回で扱うのではなく、1回目で章全体の概略を把握して、2回目ではその章の細部の理解を深めるというやり方を採用している。少なくとも本書のような現代哲学の入門書の場合、概略から細部へという段階を踏むのが正確な読解への最短ルートだからだ*1

各章の1回目の講読については、予習のモデルケースとして以下のような手順を踏むことを推奨した

  1. 見出しごとに段落番号を振りながら、講読する章の長さを確認する。 見出しはきちんと読んでおく(本文は目を通す程度で良い)。
  2. 全体を最初から最後まで読む。 一読してよく分からない箇所があったら、その箇所を記録してとりあえず先に進む (一読して分かる箇所は記録しなくてよい)。
  3. もう一周読む。 見出しごとの要点をなるべく短くまとめる。 この段階でまだ分からない箇所については、 「どこまで分かったか」「どこで引っかかっているか」を可能な限り整理しておく。
  4. もう一周読む。 見出しごとにそれを構成する各段落の役割を分析し、 各段落の要点をなるべく短くまとめる。 この作業を踏まえて、見出しごとの要点を必要に応じて手直しする。
  5. 一連の作業を踏まえてもう一度読む。

発表があたっていない場合にも、3までは必ず行うこと。

しかしこれだけだと、より具体的にどのような資料を作ってくればいいのかがあまりよく分からない。

そういうわけで、もともと初回授業で私が要約して紹介するつもりだった序章について、受講者に作ってほしいハンドアウトのサンプルを兼ねた資料を作成した。本エントリーの残りの部分は、この資料を少しだけ改編したものだ。このやり方で要約を作るのは最初のうちはなかなか大変だと思うが、『形而上学とは何か』を使ってこの練習を愚直に行えば、哲学の議論を着実に行うために要求される文章構造がどのようなものであるかについて、よりよい理解が得られるのではないかと思う。面倒くさいという気持ちはわかるけど、こういうのは手を動かさないとなかなか身に付かないのです。

*1:古典的な哲学書を読む場合には、このやり方は必ずしも最適ではないだろう。むしろ、講読箇所を短めに区切って細部まで読み、そうした読解をある程度積み重ねてから議論の大局的な流れを確認するほうがいい場合もある

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秋葉剛史『形而上学とは何か』を題材にして、パラグラフの組み立てについて考える

昨年夏に出版された秋葉剛史『形而上学とは何か』(ちくま新書、2025年)は、いわゆる分析哲学の伝統における形而上学のすぐれた入門書であると同時に、演習や読書会の講読文献にも非常に適している。というのもこの本は、新書であるにもかかわらず、パラグラフ・ライティングの原則「ひとつのパラグラフでひとつのことをすべし」をかなり守っているからだ。

 

いわゆる論説文をパラグラフ単位で読み書きすることに慣れていると、同じ論説文の類いでも、専門的な文献よりも平易に書かれているはずの新書を読むのにかえって苦労するということがある。これが一般的な現象かどうかは分からないが、少なくとも私は新書を読むのに苦労することがそこそこある。その理由はおそらく、新書というフォーマットでは各パラグラフを短くすることが求められているからだろう。この書き方をすると、たしかにそれぞれの箇所の内容がより容易に理解できるようになるのかもしれない。しかしその代わりに、それぞれの箇所で著者が何を行っているのか——その箇所に書かれた内容を読者に提示することで、著者はどういう種類の行為を行っているのか——が分かりにくくなってしまう。

 

新書に特有の分かりにくさについて、実在する例を出そう——とも思ったのだが、角が立つのでやめておこう(そうした例の無視できない割合は、著者の力量や不注意ではなく新書というフォーマットに由来するものだろう)。要するに、たとえば「一般的な主張に対して、それを分かりやすくするために例示をする」という行為を著者があるパラグラフではじめたのに、そこで示された事例についての記述がなぜか複数パラグラフにまたがっており、パラグラフ分割の理由が少なくとも私には「ちょっとここで息継ぎしたいから」にしかみえないようなスタイルの論述が、新書には散見されるのである。

 

こうした論述スタイルの是非はともかく、このスタイルのおかげで、新書はパラグラフ・リーディングの練習のための題材にはあまり向いていない。このことは、一般論として広く同意してもらえるはずである。そして私は、演習系の授業のプランを練る際にパラグラフを単位として読む(そして書く)技術を身につけてもらうことを最優先にしがちなので、その他の点でどんなにすぐれていようとも、講読文献に新書を選ぶのをためらってしまう。

 

そんななか、秋葉『形而上学とは何か』は、新書のフォーマットに則って細かめのパラグラフ分割をしながらも、それぞれのパラグラフでひとつのことを行うという原則を貫こうとしている。このことを、同書の第3章「部分と全体」に含まれる「還元主義と非還元主義」という節を題材にして確認してみたい。この節は章の途中に位置するものなので、文脈を簡単に補足しておこう。この節に先立つ箇所で、秋葉は、「全体は部分の総和なのか」という問いを立てたうえで、次のふたつの準備作業を自分の課題として立てる(秋葉『形而上学とは何か』、120–122ページ)。

①この問いをさらに明確化する

②この問いに対する肯定的な解答と否定的な解答について、そのどちらもが一見するともっともであるということを示す

 

「還元主義と非還元主義」という節は、これらのうち②の課題に取り組む箇所である。そのため今回は秋葉による問いの明確化(課題①)を端折って話を進めることになるが、これによって以下を理解することが著しく難しくなることはないと思う。

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分析哲学との関連からフッサールに入門し、その先に進むための3冊(ともう3冊)

今年度の演習のひとつでは、100分授業14回でフッサールの二次文献を3冊読む。授業資料のうち、以下の部分は多くの人に有益だろうと思ったので、ここに公開しておこう。

 

この授業の概要

  • この授業では、フッサールに関する日本語の二次文献を、入門書・概説書からはじめてより本格的なものへという順番で合計3冊読む。
    • どの概説書も、フッサールの現象学を現代の分析哲学、とりわけ言語哲学と関連づけるという特徴を持つ。
    • そのため、この授業は分析哲学の知識を手に入れるための機会にもなる。

講読文献

  • 門脇俊介『フッサール——心は世界にどうつながっているのか』、NHK出版、2004年。
    • 少々古い入門書だが、いまでも読む価値が高い*1。とりわけ第1章で与えられる見通しは有益である。ただし、最近の哲学入門書の傾向と比べると、本書はかなり難しい。
  • 富山豊『フッサール——志向性の哲学』、青土社、2023年。
    • フッサール入門の定番に最近加わった一冊で、これ以上なく丁寧な説明が展開されている。ただし、この本の趣旨――普通のフッサール入門書が一章(あるいは一節)ですませてもいいような話について、その要点のひとつひとつをじっくり解きほぐす――をきちんと理解していないと、かえって迷子になるかもしれない。ただし、最終章はいま述べた趣旨とは違う仕方で書かれており、議論が圧縮されていてやや難しい。
  • 葛谷潤『志向性の基礎——『論理学研究』におけるフッサールの基礎意味論』、晃洋書房、2025年。
    • 著者の博士論文を改稿した本格的な研究書だが、趣旨は明快であり、議論も総じて丁寧にすすめられる。この授業で取り上げる最初の2冊を読んでおけば、おそらく主要な論点を押さえることはできるはずだ。ただし、それ自体としてはかなり細かい話が進められている。また、著者が用いるアナロジーは卓抜といっていいが、これを理解するのは見た目ほど簡単ではないかもしれない。

講読文献の次に読むとよさそうな本

  • 佐藤駿『フッサールにおける超越論的現象学と世界経験の哲学——『論理学研究』から『イデーンI』まで 』、東北大学出版会、2015年。
    • 副題にあるとおり、『論理学研究』から『イデーンI』に至るまでのフッサール現象学の発展を追った著作で、上記3冊と問題関心の重なりも多い。そのため、次に読む最初の一冊はたぶんこれが一番いい。フッサールについて卒論を書くか、それ以上のことがやりたいならば、これを読み終わったあたりで一次文献をじっくり読むことも始めてほしい。
  • 貫成人『経験の構造——フッサール現象学の新しい全体像』、勁草書房、2003年。
    • 門脇俊介とほぼ同世代の(そして同じ大学院出身の)著者による研究書で、これもいまでも読む価値が高い*2。前半部分では講読文献と重なる論点を扱いながらも、後半ではフッサール現象学の意義についてかなり広い展望を示してくれる。講読文献を読んだあとに、もっとスコープの大きな話を知りたいならこれが次の一冊としておすすめ。
  • 植村玄輝『真理・存在・意識——フッサール『論理学研究』を読む』、知泉書館、2017年。
    • 自分の本も載せておきます。原著だと約1000ページの大著『論理学研究』でフッサールが何をしようとしたのか、それにどう失敗したのか(そして、その失敗をどう乗り越えようとしたはずなのか)を知りたければ、この本を読んでみるといいでしょう。丁寧に書いたつもりですが、丁寧さの種類はたとえば富山本とはだいぶ違います。読むのが大変な本ですが、『論理学研究』を全部読むよりはたぶん簡単です。ここだけ文体が違うのは照れです。

 

uemurag.hatenablog.jp

 

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*1:ここで言及していない古めの本には読む価値がないとは言っていないので注意。

*2:ここで言及していない古めの本には読む価値がないとは言っていないので注意。

ハーバーマスを一方的に目撃したときの話

ハーバーマス御一行がエレベーターを待つ場面に遭遇したことがある。2013年の夏、雲ひとつなく晴れたアテネで開かれた巨大国際学会でのことだった。誰がどう見てもハーバーマスなので私だけでなく周囲にいた人はみんな「(ハーバーマスだ…!)」とひそかにざわついた——としか言い様のない状態になった——のだが、ひそかにざわつくだけで、遠巻きに大物の姿を見守ることしかできなかった。そんななか、おそらく欧州人と思われる風貌の青年がスマートフォン片手にハーバーマスにつかつかと近寄っていく。声を掛けて一緒に写真とるのかな、度胸あるなあ。と思った刹那、青年は2メートルくらいの近距離で哲学者を撮影し、(確かなことではないがたぶん)無言でその場を去って行った。欧州の哲学系の学会でそんな光景を見るとは思っておらず、虚をつかれたような気分になったのでよく覚えている。

翌日乗ったバスでは、乗客が広げていた地元紙の一面にハーバーマスの写真がでかでかと載っているのを見た。その光景も思い出せる。ああ知識人が社会のなかにこんなふうに場所を持っているんだなあ、これが欧州だよなあという感慨と一緒に。

ハーバーマスのそのときの講演は私も覗いたのだが、音響のよくない大きなホールのうえ聴衆——というより、あの環境だともはや良くも悪くも観客だよね——のおしゃべりの声も周りからたくさん聞こえてきて、ご本人が何を言ってるのかはほとんど分からず、だったらそこらでコーヒーでも飲むかと早々に退散したのだった。同じ日だったか翌日だったか、この件について、とあるセッションにお互い聴衆として参加していた初対面のフランス人研究者と廊下で雑談をした。「あまり聞き取れなかったけど、たぶんヨーロッパと民主主義について話したんだと思うよ」「(含み笑い)そりゃ間違いないだろうね。ところでハーバーマスの主張がどう整合してるのか、私にはよくわからないんだよね。というのもさ……」。

www.zeit.de

レヴィナスとシオニズムの関係についての文献メモ

レヴィナスが親イスラエル的だということは前から知ってはいたのだが、パレスチナのニュースを見ていてそのことをふと思い出し検索してみたら、次の論文に突き当たった。

  • 早尾貴紀、「シオニズムに対するレヴィナスとデリダの距離」、『Supplément』第3号、2024年、32–37頁。

この雑誌はオンラインで無料公開されている。早尾論文が収められた号は以下。

この論文は、同じ号に収められた下記二篇の論文へのコメントではあるが、独立して読めるようにもなっている(そういうふうに読んでしまいました。これらの論文もあとで読みます)。

  • 小川歩人「初期デリダにおける暴力の主題――植民地主義とアルジェリア戦争を背景として――」、『Supplément』第3号、2024年、1–16頁。

  • 若林和哉「レヴィナスのライシテ論と「イスラエル」――キリスト教批判の観点から」 、『Supplément』第3号、2024年、17–31頁。

早尾論文は興味深い論点を淀みなく呈示していて、その当否を判断することは専門家のあいだでの議論に委ねるとしても、とにかくその明晰さに感銘を受けた。レヴィナスが折にふれて政治的シオニストとして振る舞ってきたことを指摘する際の手続きも非常にしっかりとしており、私は早尾にかなり強力に説得された。

 

というような感想をTwitter(だったもの)に垂れ流しがてら他に何か読むもんありますかねみたいなことを書いたら、レヴィナス研究者の石井雅巳さんにいくつかの情報を教えてもらった。

https://researchmap.jp/masaishii

 

石井さんによると、さしあたりアクセスしやすいところでは、以下からはじめるのがよいとのこと。

 

また、レヴィナスのシオニズムやイスラエルに対する見解を知るには、以下の本の第V部が有用とのこと。

 

日本語以外の文献としては、以下のものを教えてもらった。バトラー批判とのこと。

この本については、石井さんが『レヴィナス研究』誌に書評を寄せている。

  • 石井雅巳、「Michael L. Morgan, Levinas's Ethical Politics, Bloomington: Indiana University Press, 2016.」、『レヴィナス研究』vol. 1、103頁。

ごく短い書評のなかに要点がまとまっているので便利だった。こちらは以下から無料で入手できる。

 

というわけで、やっぱりこういうことは専門家に教えてもらうのが一番ですね。私も専門家としてフッサール関連読書案内のようなものを公開しています。

 

このブログで過去に書いたレヴィナス関係の記事はこちら。

2023年に出版された仕事

今年は前半にどかっと出て、最終版提出済み出版待ちのものがだいぶなくなった。貯金が尽きたようなものだ。来年以降の出版のペースはおそらく落ちるはず。自分の仕事をこの文体で紹介するのが難しかったのでここから調子変えます。

 

Uemura, G. (2023). Between Love and Benevolence. Voigtländer, Pfänder, and Walther on the Phenomenology of Sentiments. In: Vendrell Ferran, Í. (eds) Else Voigtländer: Self, Emotion, and Sociality. Women in the History of Philosophy and Sciences, vol 17. Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-031-18761-2_4

初期現象学(ミュンヘン系)に関する論文。エルゼ・フォークトレンダーの心情論について、それがアレクサンダー・プフェンダーの心情論に何をどれくらい負っていたのか、その新しさはどこにあったのかを明らかにすることを目指しました。フォークトレンダーは師の一人だったプフェンダーの基本的な発想を正確に理解して踏襲したうえで、「好意(Wohlwollen/benevolence)」と呼ばれる心情については、プフェンダーの見解に反対するような議論を展開している——というのがメインの主張です。具体的な作業としては、プフェンダーに献呈された1933年の論文「心情の心理学についての所見」の前半部分を取り上げ、フォークトレンダーがそこでプフェンダーの『心情の心理学』(1913/1916年)のどの箇所を参照しているのかをなるべく正確に突き止めつつ、この一致を背景にしてはじめて浮き上がる両者の見解の相違を取り出すといった感じのことをしています。また、好意に関するフォークトレンダーの議論が同じくプフェンダーの学生だったゲルダ・ヴァルターの立場への批判にもなっている——ただしフォークトレンダー自身がこの批判を意図していたかはわからない——ということも論じました。私のこれまでのキャリアでもっともマニアックなテーマですが、うまく書けたと思っている部分がいくつかあり、たいへん気に入っています(ただしタイプセッティングのミスでブロック引用がすべて段落として処理されていて、そこは気に入っていません)。

 

Uemura, Genki, 'Phenomenology in Japan: A Brief History with a Focus on Its Reception in Applied Areas', in François-Xavier de Vaujany, Jeremy Aroles, and Mar Pérezts (eds), The Oxford Handbook of Phenomenologies and Organization Studies, Oxford University Press, 2023. https://doi.org/10.1093/oxfordhb/9780192865755.013.30

日本における現象学受容を、狭い意味での哲学の外にある「応用的な」分野での受容にとりわけ着目しながら振り返る論文です。1910年代から2000年くらいまで扱っていますが、戦後の話はほとんどおまけみたいなもので、重点は戦前に置かれています。この手の話題を扱った先行研究はかなりの量読んだはずですが、そのどれとも違う内容になっていると思います。1920年代の日本の教育学や社会学における現象学への注目の高まりについてある程度まとまったことを(英語で)書いた論文は貴重なはずです。準備の過程で仕込んだネタがたくさん余っているので今後の研究にも活かされることでしょう。大変だったけどやってよかった。

 

Uemura G. (2023). Community and the Absence of Hostility: Interpretation and Defense of Gerda Walther’s Account. Phainomenon, Vol.35 (Issue 1), pp. 25-46. https://doi.org/10.2478/phainomenon-2023-0003

初期現象学(ミュンヘン系)に関する論文がもうひとつ。こちらはゲルダ・ヴァルターに関するもの。ヴァルターの共同体論を解釈して擁護するという趣旨の論文で、具体的には、「共同体は成員のあいだの敵対が取り除かれたところに成立する(大意)」というヴァルターの主張の内実を理解可能にすることを目指しています。そのための手がかりとして、アーロン・グールヴィッチがヴァルターに寄せた批判(をさらに展開させたもの)を取り上げ、それに応答することを試みました。結論を簡単にいうと、「ヴァルターだって共同体の内部で不和や敵対が生じうることくらい当然認めているよ。このことと問題の主張がどう両立するのかは、真正/非真正(echt/unecht)な経験に関するヴァルターの議論を参照すれば分かるよ」という感じになります。これもいまのところ結構気に入っている。オープンアクセス。

 

植村玄輝,「像はどのようにあらわれるのか——フッサールの像意識論を解釈して擁護する」,荒畑靖宏・吉川孝編『あらわれを哲学する』,晃洋書房,2023年,85–100頁。

こちらも解釈して擁護する論文。像意識(いまでいう画像知覚)に関するフッサールの議論に登場する「像客体」とは何かを明らかにしたうえで、それをいわば第3のものとして、物的な像ないし像物体(画像知覚において知覚される物体、たとえばキャンヴァス)と像主題(画像において描かれるもの、たとえば肖像画を注文した実在の人物)に加えて認めることはそんなに奇妙な発想ではないということを論じました。私がフッサールについて書くと人があまり現象学っぽいと思わないものができあがる傾向があるのですが、これはがっつり現象学の話をしていると思います。しかしフッサール研究の成果というよりも、自分の基準では現代現象学に分類される仕事だという気もします。少なくとも、この話の続きをやるときにはもはやフッサール解釈という手続きはとらないはず。

 

植村玄輝,「コンラート=マルティウスの現象学的実在論」,『プロセス思想』第22号(2022),2023年,49–63頁。https://doi.org/10.32242/processthought.22.0_49

初期現象学(ミュンヘン系)に関する論文がさらにひとつ。一昨年に行われた日本ホワイトヘッド協会シンポジウムでの提題(および、過去5年くらいにさまざまなところでやってきた発表)にもとづくものです。ヘートヴィヒ・コンラート=マルティウスの1916年の論考「レアルな外界の現出論と存在論」から実在論を擁護する現象学的な論証を再構成するものなんですが、とにかく難解な文献なので苦労しました。コンラート=マルティウスの議論の要点は体験の身体性に着目するというところにあり、それだけだとまあよくある話といえなくもないんですが、そこからさらに一歩踏み込んで触覚的な注意を議論に絡めてくるあたりはかなり面白いしオリジナルだと思います。オープンアクセス。

 

植村玄輝,「フッサールの価値論——ブレンターノの継承と批判という観点から」,『20世紀初頭価値哲学の反自然主義——現代価値論の再考のために』,2023年,19–33頁。

ゲッティンゲン時代のフッサールの価値論をブレンターノとの比較という観点から整理した論文です。フッサール研究者なら常識的に知っていてもいいような話題が中心なのでフッサール研究的には特に新しくないです。しかし、狭い業界外にはあまり知られていない話をコンパクトにまとめたものとしては悪くないと思います。こちらの科研費プロジェクトの報告書に寄せたものなので入手がやや難しいのが残念です。しかしそのうちネットで無料で公開されるんじゃないかと思います。されなかったら私の方でなんとかします。