研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

フッサール入門のための短い読書案内

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はじめに

この文書は「フッサールの現象学に興味があるけど、難しそうだしどこから手をつけていいのかわからない」という人のための読書案内です。この読書案内に特徴があるとすれば、それはまずもって次の2点です。

  1. フッサール自身の著作を少しでも自力で読めるようになることを最終目標として、まずはそのための土台を作ることを目指す。
  2. 本を一冊ずつ読破していくのではなく、複数の本をつまみ食い的に読むことで次のステップに進むように設計されている。

そのため、フッサールの著作を読むことに関心のない人や、つまみ食い的な読み散らかしをしたくない人には、以下の案内はあまり向いていないかもしれません。また、この読書案内は、比較的短期間で無理なく読みきれる分量(200頁くらい)の文献で可能な限り大きな効果を上げることを目指しているため、決して網羅的ではありません。しかし、下記の読書プランをこなしたあとなら、フッサール現象学へのより網羅的な入門を目指した読書をするための基礎知識と指針が得られているはずです。

 

読書案内

まずは本人の書いたものをちょっと読んでみる

(1)フッサール、『受動的綜合の分析』(山口・田村訳、国文社、1997年)、第1節(13–18頁)。

(2) フッサール、『フッサール書簡集1915–1938 フッサールからインガルデンへ』(桑野・佐藤訳、せりか書房、1982年)書簡55(102–105頁)。

 

読解のヒント

(1)は1920年代の講義の冒頭部で、(2)はフッサールが自分の元学生であるインガルデンに送った1931年11月13日付の書簡の全文。(1)では、「外的知覚」、つまり身の回りのものを知覚するとはどういうことかについてのやたら細かい話が、視覚を例にして繰り広げられる。それほど長くないので、まずはこの箇所の全体に(できれば複数回)目を通して欲しい。よくわからない箇所や用語は、最初は適当に読み飛ばしてもかまわない*1。これに比べると、(2)は書簡ということもあって、多くの人にとってだいぶ読みやすいだろう。この書簡はフッサールの人柄が現れている感じもしてなかなか興味深いのだが、いま特に注目して欲しいのは、ここでフッサールが自分の現象学を哲学全体に変化をもたらす前代未聞の試みと考えていたという点だ(103頁)。これらふたつのテクストを並べてみると、フッサールは、一方でやたら細かい知覚の分析をちまちまと行いながら、他方で壮大な構想を持っていた哲学者として姿を現す。すると気になるのは、この二つの側面がフッサールという一人の人物のなかでどう関係しているのかということだ。次のステップは、この関係を少しでも詳しく理解するためにある。

 

やたら細かい知覚の分析をよりよく理解し、壮大な構想との接点を垣間見る

 

(i) 谷徹、『これが現象学だ』(講談社現代新書、2002年)、第1章第3節(44–68頁)。

(ii) 貫成人、『経験の構造 フッサール現象学の新たな全体像』(勁草書房、2003年)、第I部(2–60頁)。

(iii) 門脇俊介、『フッサール 心は世界にどうつながっているのか』(NHK出版、2004年)、「はじめに」と第1章(7–43頁)。

(iv) 田口茂、『現象学という思考』(筑摩選書、2014年)、第1--2章(30–106頁)。

(v) 植村玄輝・吉川孝・八重樫徹 編著、富山豊・森功次 著、『ワードマップ現代現象学 経験からはじめる哲学入門』(新曜社、2017年)、4-1「思考と真理」(98–114頁)。

 

解説

(1)で論じられるトピックは、フッサールや現象学に関する文献でも頻出する。上のリストは、そうした文献を比べ読みするためのものだ。まずは、この中からどれでもいいから複数のもの(できれば3つ以上)を選んで読んでみよう。別々の著者がみんな揃って述べていることを自分なりにまとめれば、この頻出トピックに関するもっとも基本的な知識が手に入るはずだ。そして、著者ごとに(微妙に)異なる強調点に着目することで、知覚(や志向性)に関するフッサールの見解が、いわば立体的に、奥行きをともなって見えてくるだろう。この奥行きの深さこそ、研究対象としてのフッサールの魅力の一部だといっていい。また、(ii)や(iv)を読めば、知覚や志向性に関するフッサールの細かい分析が、実在(フッサールの用語では「現実」)とは何かという大きな問いと切れ目なくつながっていることがわかるだろう*2。(2)で語られていた壮大な構想も、こうした文脈のなかに位置づけられる。これがどういうことかが何となく分かった人は、フッサール入門にひとまず成功したといっていい。

 

さらに先に進みたい人のためのヒント

  • まずは(1)をもう一度読み直してみよう。最初に挑戦したときよりも細かいところまで読めるようになっているはずだ。続きが気になった人は、そのまま『受動的綜合の分析』を読めるところまで読み進めてみてもいいだろう(第III部の手前くらいまでなら、まあなんとかなると思う)。
  • フッサールの書いた別の著作を読みたいという人は、『デカルト的省察』(浜渦訳、岩波文庫、2001年)が手頃だろう。この本は同時期のフッサールの草稿を読んでいないとよくわからない圧縮された議論も多いのだが、この段階まで来れば大きな話の筋は追えるはずだ。
  • 入門書や概説書がもう少し読みたいという人は、まずは(i)と(iii)の全体を読むのがいいだろう。それらに比べると(ii)は専門的な研究書なのでやや難しいが、これもできれば読み通して欲しい。また(iv)と(v)も、フッサール入門書として書かれた本ではないので少し注意が必要だとはいえ、フッサール的な発想を理解するうえで大きな助けになる。
  • その他の文献を挙げはじめるときりがないので、ここでは、フッサール入門書・概説書として国際的に定評を得ている次の2冊だけ紹介する(ただし後者はかなり難しいし、翻訳の硬さもあって読みにくいので注意。前者も、翻訳をもう少し工夫できただろうになと思ってしまうような箇所がちらほらある)。
  • ダン・ザハヴィ、『新装版 フッサールの現象学』(工藤・中村訳、晃洋書房、2017年)。
  • ベルネ、ケルン、マールバッハ、『フッサールの思想』(千田・徳永・鈴木訳、晢書房、1994年)。

*1:少しだけ用語解説をしておくと、この箇所に出てくる「ノエシス(的)」と「ノエマ(的)」は、それぞれ知覚することと知覚されたものに対応すると理解しておけば、とりあえず十分だ。

*2:この点に関しては(v)の9-2「哲学者の生」(281--292頁)も参照して欲しい。