研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

哲学史研究と哲学をすることの関係についてのグライスの「ファンタジー」

先日勤務先で一般向けの講座を行う機会を得て、「哲学と哲学史——両者は切り離せないのか」という内容で話をした。下記の記事からはじまる当ブログの一連のSauer論文記事を本題としてその前後に前置きと展望を挟むという感じの構成で、どちらかといえば利他的な動機に基づいて書いたものが結果として自分を助けてくれたかたちになった。やはり、思いついたことは(それを公開するかどうかはまた別の問題だが)とりあえず書いておくべきである。

uemurag.hatenablog.jp

 

今回の講座を準備するにあたっては、過去の自分に助けられたことがまだある。主要部分に先立つ前置きで哲学史と哲学の関係をめぐるさまざまな見解を引用して紹介したのだが、その少なくない部分は、2017年の日本哲学会大会シンポジウムでの発表とそれに先立って出版された論文*1のために準備したもののさまざまな事情で使わなかったものだった。そのなかでも今回読み直して面白かったものをここにも引用しておこう。以下は、ポール・グライスが哲学史を研究することと哲学をすることの関係について語っている箇所だ*2

オックスフォードの哲学チューターであり、レポートのための課題を設定する際の学生への指示として、プラトンやアリストテレスからの一節と最近の哲学雑誌に収められた論文を読むようにすることに慣れている人なら誰でも、何世紀にもわたる話題が沢山あることをよく知っている。そして、〔こうした人たちにとって〕ほとんど劣らず明らかなのは、実質的に似通った立場がまったく異なる時代に提出されるということである。また、それを知ることができる立場にある人たちが確かなこととして私に保証してくれたのだが、ある哲学文化と別の哲学文化、たとえば西ヨーロッパ哲学とインド哲学を隔てる障壁を越えても、ある程度は同じような対応関係を見出すことができるそうである。こうした平凡な事柄に、さらなる平凡な事柄として、哲学において永続的な名声を勝ち得た人たちは卓越した哲学的な功績の結果としてそうなったのだということを付け加えてみよう。すると、私たちがたどり着く結論は、自分自身の哲学的問題を解決しようとするときに、私たちは、輝かしい死者たちが提供したかもしれない貢献を何であれ適切に考慮すべきであるというものである。「適切な考慮」と言うときに〔…〕私が意味しているのは、私たちは偉大だが死んでしまった人たちを、あたかも彼らが偉大であり生きているかのように、いま私たちに何かを語りかけてくれる人たちであるかのように扱わなければならないということである。〔…〕/哲学を否定したい人たちが事実と称されるものとしてよく指摘するのは、哲学の大問題が2500年以上にわたって私たちの頭を悩ませてきたにもかかわらず、ひとつも解決されたことがないということである。ある哲学の問題を誰かが解決したと主張すると、すぐにほかの誰かがそれを未解決に戻してしまう。私の想像では、私たちに対するこうした非難は思いっきり的を外している。実際には、多くの哲学的な問題が(多かれ少なかれ)何度も解決されているのである。そのようには見えないということが何によるのかといえば、それは、ある語彙から別の語彙へと移ることがたいへん難しく、そのため問題の同一性がぼやけてしまうという事情によるのである。解決は、私たちが主題とする事柄に関する〔過去の〕記録に刻まれている。ただここで行う必要があり、しかもそうするのがとても難しいのは、その記録を正しく読むことである。さて、こうした想像には、実際には根拠がないかもしれない。しかし、この想像を信じた結果として〔根拠のあることだけ信じることに〕失敗することは、よい哲学につながることがおおいにありそうだし、一見するかぎり、何の害も与えることがない。それに対して、この想像を拒否することで〔よい哲学をすることに〕失敗することは、人を哲学的な災害に巻き込むことになるかもしれない。*3

ここでグライスが「想像(fantasy)」として語っているアイディアは、上記リンク先の記事で紹介したSauer論文でターゲットとしている研究実践のひとつと言えるだろう。というのもグライスはここで、哲学にとって哲学史はよい方法であるということを、哲学の歴史をつうじて同じ問題が繰り返し取り上げられている(そしてその問題に対する解決は多かれ少なかれ過去に与えられている)という事情を背景にして語っているからだ。

*1:この論文は以下のリンク先から無料でダウンロードできる。https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy/2017/68/2017_28/_article/-char/ja/

*2:日本語に直すのが異様に難しい英語だったので箇所によっては結構な意訳をしている。また、長いので要点だけをはっきりさせるために真ん中をかなりたくさん略した。ちなみに割愛された箇所には、「マイナー哲学者、たとえばウォラストンとかボサンケとかウィトゲンシュタインとか」というわりと有名な問題(?)発言が登場する。

*3:Paul Grice, "Reply to Richards." In Philosophical Grounds of Rationality, R. E. Grandy & R. Warner (eds.), Clarendon Press, 1986, 65–67.