研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

高橋里美の胆力

フライブルクに留学していた高橋里美のエピソードとして、高橋の学生だった小野浩が次のような話を書き残している。

先生がフッサール門下としてハイデガーと学問上の〈僚友(Kolleg)〉であつたことは知られてゐる。先生帰朝に当り、ハイデガーの肝煎りで送別会が催され、フッサールも臨席したが、フッサール曰く、「タカハシ、君は日本へ帰つたらわしの哲学を講義して呉れるだらうな?」、先生答へて曰く、「必ずしもさうでない」。座が白けてハイデガーあたりが相当に斡旋に気をつかつたらしいといふこと、旧台北帝大のM教授から伝えられたらしい*1

おそらく1927年のこと。この会話はとうぜんドイツ語でなされたはずで、「必ずしもさうでない」と訳された高橋のセリフは「Nicht immer」だったのではないかと想像する。それはともかく、当時すでに大家だったフッサールに対して社交辞令を言わないこの度胸は、並大抵のものではない。

*1:小野浩「ハイデガー先生の思ひ出」、『城西人文研究』第9号、194–154頁。引用は192頁から。この随筆はこちらでダウンロードできる。