研究日誌

哲学と哲学史を研究している人の記録

フッサールと「ナイフ研ぎ」のエピソード

少年時代にナイフを貰ったが、切れ味が気に入らず研ぎすぎて台無しにしてしまった——レヴィナスがフッサールから聞いたというこのエピソードは、広く知られているのではないかと思います*1。この記事のタイトルを見ただけでピンときたという人もけっこういることでしょう。しかし、この逸話はソースなしで語られることも多いような気もします。というわけで、しっかりとした文献上の証拠をここに引用しておきましょう。

フッサールのナイフ研ぎのエピソードは、1950年に刊行された『フッサール全集』第1巻(『デカルト的省察とパリ講演』)の編者序文のなかで、編者シュトラッサーがレヴィナスから教えられた話として伝えられています。該当する箇所を翻訳して引用します。

自分の哲学の方法をつねにより完全なものにし、しかも十分な体系的な定式化を犠牲にしてまでそうするというフッサールの傾向を示すものとして、E・レヴィナス博士が編者〔シュトラッサー〕に打ち明けた次のような逸話がある。(〔編者序文内で〕さきほど言及した)ストラスブール滞在の折りにフッサールが伝えたことによれば、フッサールはかつて子供のときにポケットナイフを贈られた。だが、フッサールはその刃が十分に鋭くないことを察して、 それを研いだのだった。ナイフを鋭くすることだけを考えていたので、フッサール少年はその刃がどんどん小さくなってだんだん減っていくことに気づかなかった。レヴィナスが確かなこととして認めている話によれば、子供の頃のこの思い出をフッサールは悲しそうな調子で伝えており、それはフッサールがこの思い出に象徴的な意味を与えていたからだ*2

 

さて、このエピソードが日本で有名になるきっかけとなったのは、おそらく、講談社の『人類の知的遺産』シリーズの一冊として1981年に出版された田島節夫『フッサール』のなかで紹介されたことによってでしょう。手元にある講談社学術文庫版(1996年)から該当箇所を引用します。

幼い頃からのフッサールの人となりを示すつぎのような逸話がある。ある日、彼はナイフを土産にもらったことがあるが、切れ味があまりよくなかったので、一生懸命にこれを研ぎにかかった。ところがナイフを鋭くすることばかりに気を取られていた少年フッサールは、鋼の部分がだんだん小さくなり、ついには無くなってしまったことに気がつかなかった、というのである。この話は、フランスで現象学研究の先達として知られたエマニュエル・レヴィナスが、晩年の本人の口から聴いたものであるが、フッサールはこの幼時の思い出に象徴的意味を託していたようで、その話をするときは沈痛な調子であった、という*3

上の引用と比較すればわかるように、田島はシュトラッサーの書いたことをかなり正確にまとめているといっていいはずです。

とはいえ、ふたつの引用には違いもあります(より正確にいうと、私はシュトラッサーからの引用を、この違いを出すことを意図して翻訳しました)。私が「悲しそうな調子で」と訳した部分を、田島は「沈痛な調子で」と訳しています。ドイツ語原文では、この箇所は「in traurigem Ton」となっています。「悲しそうな調子で」も「沈痛な調子で」も、このフレーズそのものの訳としては間違っていないはずです*4。たとえば、小学館の『独和大辞典』には、「traurig」の訳語として「悲しそう」も「痛ましい」も見出しに挙げられています。「沈痛な」は、この両方をうまく拾った訳語だともいえるかもしれません。

その上で指摘したいのは、「悲しそうな調子」と「沈痛な調子」とでは、読者が受ける印象がだいぶ違ってもおかしくないということです。フッサールが件のエピソードにあたえた象徴的意味の重さは、「沈痛な」という言い方をした場合の方がより大きくみえるはずです。それに対して「悲しそうな」という言い方では、話はそこまで深刻に捉えなくてもいいものになるはずです。

実際のところ、田島に先立って1978年にこのエピソードを紹介した立松弘孝は、フッサールがナイフ研ぎのエピソードに込めたという象徴的な意味をそこまで重く受け止めていないように思われます。引用してみましょう。

フッサールの少年時代の思い出の一つにこんなエピソードがある。あるとき新しい切り出しナイフを貰ったフッサール少年は、その切れ味をもっとよくしたいと思って磨ぎ始めた。ところが次第にその作業に熱中して、とうとう刃金の部分をすっかり磨り減らしてしまい、悲しい思いをしたというのである*5

立松もまた、哲学の方法に対するフッサールの姿勢を語る文脈でこのエピソードを取り上げています。しかし立松の書きぶりは、「フッサールはちょっと悲しい気持ちになった」というくらいにも理解できそうです。

では、田島の理解と立松の理解を比べたとき、どちらがより適切なのでしょうか。どちらともいえない、というのが私の考えです。すでに述べた様に、ドイツ語原文の「in traurigem Ton」そのものは、「悲しそうな調子で」と「沈痛な調子で」のどちらでも訳せます。そうなると、どちらがより適切かの判定は、このフレーズが登場する文脈を踏まえて行うべきだということになります。しかし私のみるかぎり、最初のシュトラッサーからの引用の前後を読んでも、この問題に決着をつけることはできそうにありません。

ここからわかるのは、フッサールのナイフ研ぎのエピソードは、田島の紹介の仕方から伺えるほど重大な意義を持っていないかもしれないということです。田島からの引用に出てくる「沈痛な調子で」は、「悲しそうな調子で」と置き換えても構わないものです。すでに述べたように、そのように言い換えた場合、このエピソードの印象はだいぶ変わるはずです。こうした事情を踏まえずにナイフ研ぎのエピソードをさも重大な話であるかのようにみなすことは、間違っているとまではいえないにせよ、性急だということにはなるでしょう。

というわけで、フッサールのナイフ研ぎのエピソードは扱いに気をつけた方がいいという話でした。

 

ちなみに田島節夫の『フッサール 』は、フッサールの生涯について日本語で読める一番詳しい文献であり続けており、その他の部分も含め、いまでも読む価値のある本です。

*1:きちんと調べたわけではないのですが、私の印象では、この逸話は日本では突出してよく知られているようです。というのも、英独仏語の文献でこれが語られるのを読んだ記憶がないからです。

*2:Stephan Strasser, "Einleitung des Herausgebers", in Edmund Husserl, Cartesianische Meditationen und Pariser Vorträge, edited by S. Strasser, Husserliana vol. I, 
Martinus Nijhoff, 1950, p. xxix.

*3:田島節夫『フッサール』、講談社学術文庫、1996年、39–40ページ。残念なことに、田島はこの箇所に文献上の典拠をつけていません

*4:ちなみに「Ton」は英語の「tone」に相当する語で、「(3格支配の)in+形容詞+Ton」というかたちのフレーズは「〜調子で/の」または「〜口調で/の」と訳すと、大抵の場合、ほぼ直訳でしかも自然な日本語になると思います。

*5:立松弘孝「フッサール その生涯と思想」、『現代思想 臨時増刊 総特集 フッサール 現象学運動の展開』、青土社、1978年、249ページ。残念なことに、立松もこの箇所に文献上の典拠をつけていません。