フッサールが1913年の著作『イデーンI』で表明した観念論的な見解に対して、いわゆるミュンヘン・ゲッティンゲン学派に属する初期の実在論的な現象学者たちが反発した、という話は比較的よく知られているのではないかと思います。この対立に関するエディッ…
久しぶりにレムの本を開いて思い出したこと。『宇宙創世記ロボットの旅』には「高等非実在専門学校」なる機関が出てきて、マイノング(主義)について論じるときににエピグラフにしたくなるようなことが書いてあります。 通説では竜などというものは存在しな…
上の記事で紹介されているコリン・ウィルソン『精神寄生体』にフッサール(というよりも、フッサール現象学)が登場するらしいので古本を注文しました。読みます。 それで思い出したのですが、スタニスワフ・レムの中編「天の声」にもフッサールの名前がちら…
以前にもフッサール研究会から情報提供があり、知っている人もけっこういるとは思いますが、『フッサール全集』(Husserliana)の第1巻から第28巻までの大部分はネットで無料で手に入れることができます。 ページを開いてもどこからダウンロードできるのかが…
上の記事に関連した、おまけのような話。フッサールのナイフ研ぎのエピソードは、あのレヴィナスがフッサール本人から聞いたものでした。こうした由来はナイフ研ぎのエピソードのインパクトを高めているといっていいはずです。しかし、前回の記事で引用した…
前回の続き。内的合一に関するヴァルターの議論は、類比的記述という手法も含めてプフェンダーの心情論を継承するものでした。しかし、ヴァルターはプフェンダーの言っていることをそのまま丸ごと繰り返すわけではありません。今回はその一例をあげましょう…
引き続きヴァルターの話。ひとつ前のエントリーで見たように、ヴァルターは共同体の紐帯となる情動を「内的合一(innere Einigung)」と呼んだのでした。この文脈でヴァルターは、ミュンヘンにおける師であったアレクサンダー・プフェンダーの議論を継承して…
前回の続きといえなくもない話。せっかくなので、ヴァルターが自分の論考のなかでウェーバーに触れている箇所も紹介しておきましょう。以下は、1923年にフッサールの『現象学年報』に掲載された「共同体の存在論について」の一節で、初期現象学の研究者の(…
ミュンヘンの現象学者ゲルダ・ヴァルターは、同地でマックス・ウェーバーの授業にも出ていたようです。1960年に出版された自伝のなかで、ヴァルターはそのときのウェーバーの様子を次のように記しています。 副専攻のひとつが社会学だったので、私はマックス…
1912年から1916年まで欧州に留学した美術史家の澤木四方吉は、ミュンヘンでカンディンスキーと交流を持った。そのことを綴った澤木の随筆「カンディンスキィという人」(初出1917年)には、次のような一節がある。 ある日彼〔=カンディンスキー〕から、一ロ…
ここ何年か友人たちとアドルフ・トレンデレンブルクの『論理学研究』(第3版、1870年)をゆるゆると読んでいて、これがなかなか楽しいのですが、この楽しさの一部はトレンデレンブルクの嫌味ったらしい書き方にあることは間違いないですね(この嫌味な感じが…
少年時代にナイフを貰ったが、切れ味が気に入らず研ぎすぎて台無しにしてしまった——レヴィナスがフッサールから聞いたというこのエピソードは、広く知られているのではないかと思います*1。この記事のタイトルを見ただけでピンときたという人もけっこういる…
フッサールはある講義で、次のように述べています。 人間の認識を並外れて拡張するためには、分業の必要が拒否しがたくでてくる。もともとはひとつの学問が、数学、物理学、生理学等々に分かれたのだ。そして、こうした仕方での制限によってのみ、われわれの…
「その1」の最後で「その1」は「その2」があることを保証するものではありませんという逃げをいちおう打っておきましたが、実際には、いくらでも補足を書き足せます。今回は、構成に関する節についてもう少し。 「社会的現実の構成」という節では、フッサー…
この記事でも紹介したように、尾高朝雄は1930年にフライブルクでフッサールに学んだのですが、そのときフッサール一家と家族ぐるみの付き合いをしていたようです。 以下は、フッサール家でのクリスマスディナーに招かれたときの様子について、尾高が1935年に…
この記事を読み直していて、ちょっと補足が必要かもしれないと思ったところを見つけました。 「社会倫理学」という節の冒頭には次のようにあります。 最後の節では、フッサールの社会倫理学の構想がごく簡単に紹介されます。ここまで扱ってきたフッサールの…
www.amazon.co.jp ちょっと前の話になりますが、上の論集に「現象学者としての尾高朝雄——1930年代の社会団体論を中心に」という論文を寄稿しました。日本哲学研究という文脈では尾高はそれほど中心的な人物ではないため、伝記的な事実についても調べ物をして…
Encyclopedia of the Philosophy of Law and Social Philosophy(『法哲学・社会哲学百科事典』)という事典 link.springer.com にフッサールについての項目 link.springer.com を書きました。いまのところオンラインでしか読めないのですが、どうやら来年に…
この記事のPDF版をこちらからダウンロードすることができます。 はじめに 読書案内 まずは本人の書いたものをちょっと読んでみる やたら細かい知覚の分析をよりよく理解し、壮大な構想との接点を垣間見る さらに先に進みたい人のためのヒント はじめに この…
鍵付きのツイッターアカウントに書くのもなんなので、メモも兼ねてこちらにリスト作っておきます。またあとで追加するかも。 Hermann Weyl, Raum · Zeit · Materie - Springer Karl Jaspers, Allgemeine Psychopathologie - Springer Moritz Schlick, Allgem…
どういう経緯によるのかはわからないけど、Springerの電子書籍の一部(といっても大量)が無料でダウンロードできるようになっている。 togetter.com というわけで調べてみたところ、HusserlianaやHusserliana MaterialienやEdmund Husserl Collected Works…
先日発売され、前回のエントリ(目次はそちらで見ることができます)でも紹介したトゥオマス・タフコ(編)『アリストテレス的現代形而上学』について、訳者の一人である鈴木さんが担当した章(第4章と第12章)の簡単な紹介をしている 翻訳『アリストテレス…
翻訳者として参加していた、Tuomas E. Tahko (ed.), Contemporary Aristotelian Metaphysics (Oxford University Press, 2012)の翻訳がついに発売されます。2015年1月20日現在だとAmazonで原著がペーパーバックやKindle版よりもハードカヴァーが安いという状…
訳のチェックに関してほんのちょっとだけ協力させてもらったウィリアム・フィッシュ『知覚の哲学入門』(勁草書房、2014年)を、(だいぶ前に)訳者のみなさんからいただいた。ありがとうございます。 私は『知覚の哲学入門』を二年くらい前に原著で読んだの…
秋葉剛史『真理から存在へ:〈真にするもの〉の形而上学 』(春秋社、2014年)を(だいぶ前に)著者の秋葉さんからいただいた。ありがとうございます。 博論をもとにした著作ということもあって内容的には高度なところもあるのだけど(特に心的因果の問題を扱…
『ワードマップ現代形而上学 』を一通り読了した。 仕事の合間に開いているだけでいつの間にか読み終わってしまう読みやすさは素晴らしい。はやくも重版されたという同書の人気にあやかって、現象学について関心のある人がこの本から先に進むとしたらどんな…
いつの間にか一月以上前のものになってしまった前回の記事で関連文献をまとめたMetaphysical Nihilismについて、自分の勉強も兼ねて少しずつメモを書いていく(つもり…次がいつになるかは分からないけど)。とりあえず今回は、Metaphysical Nihilismを擁護す…
「そもそもなぜ何かが存在するのか」という問いが前提にしているようにも見える、「何もなかったかもしれない」という可能性(この可能性を認める立場は、“Metaphysical Nihilism”と呼ばれる)をめぐる最近の議論を追っかけてみようと思い、とりあえず出版年…
フッサールの草稿ばかり読んでいると精神衛生によくないので何か別のものを読もうと思って選んだけど、よく考えてみればトラヴィスに挑戦する方がよほど精神衛生に悪いんだった。「心と世界が一緒になって心を世界を作り上げている」という(ある時期の)パ…
先週でB I 4をとりあえず読み終えたので、今週からはB II 2を読む。B I 4と大体同じ時期(1907-8年)に書かれた草稿。一方における意識の無限性(これは世界の無限性と超越論的観念論的な主張から要請される)と人間の意識の有限性をどう関連づけるかという…